「善い行い」で心は確実に満たされ、明るい気持ちに

日常生活のなかで「若々しくある」ための習慣として、私がとくにおすすめするのは、「善いことをする」というものです。ひと言でいえば、「善行を積みましょう」、ということです。

小学生ではあるまいし、いい大人に向かって「いったい何を言いだすんだ」と思う方もいるかもしれません。でも、「善いことをする」ことで心は確実に満たされ、明るい気持ちになります。

善行は本当に、些細なことで構わないのです。

たとえば、私は自分が書いた本ができると周りの人にできるだけ配ってあげます。「迷惑になるかな」と思いきや、意外に喜んでくれる方が多いのです。それだけで「書いてよかった」という気持ちになります。

それで先日は、本のお礼にと、高級ブランドのハンカチを3枚いただきました。なんだか「海老で鯛を釣った」気分ですが、「善いこと」をすれば、ちゃんとめぐりめぐってどこからか「善いこと」が返ってくるものです。

白いテーブルに白いボックス
写真=iStock.com/ouh_desire
※写真はイメージです

私は、この幸せをさらに連鎖させるべく、3枚のうち2枚のハンカチを、今度は、孫にプレゼントしました。1枚は私がありがたく使わせていただいています。

この「善いことをすれば、善いことがある」と言ったのはブッダです。彼の教えは、人間は皆、運の通帳を持っていて、善いことをすれば通帳に「善業」が記載され、それが貯まると幸運が訪れるというものです。反対に悪業を積めば、不運が訪れます。これは仏教だけに限らず、欧米社会においても、よくいわれていること。

自分が積み上げてきた業に、報いる責任がある

ポール・ニューマン主演の映画『傷だらけの栄光』で、主人公のボクサーはタイトルマッチに八百長を頼まれたが、それを断わり、ニューヨークの実家に戻ってしまいます。そのとき、昔よく行った近所のバーへ行くと、オーナーからこう言われました、

「お前は、このバーで昔からいろいろなものを飲み食いした。しかし飲んだり食べたりすれば、金を払わなくてはならないのだ。それが嫌なら、飲んだり食べたりしないことだ」

つまり、人は自分が積み上げてきた業に、報いる責任がある。彼の成功に期待し、思いをかけてきた者たちに対して、責任を果たしなさい……ということだったのです。

ちなみに映画のモデルは、実在したロッキー・グラジアノというボクサーであり、彼は40年代にミドル級のチャンピオンになっています。

私は、いくつかの医療関係団体、孤児を支援する団体、芸術家協会などへ、ささやかですが寄付を続けています。といっても、本当は妻がやっていたことを引き継いだだけなのです。

額は些少であっても、それで「善いことをしたな」と思えるなら、自分の心にとってはプラスに働きますね。