なぜ、ただの秀才は落とされるのか
さまざまな受賞歴より一つの関心事を掘り下げる思考の深さ
毎年、オックスフォード大学入試の選考面接で、優秀な学生たちに会います。この14年間、12月の第1週に面接を行い、7年間は東洋学部全体の入学所長も務めました。自己紹介書も数えきれないほど読んでいます。
私立学校の学生たちは、いかにもコーチングを受けたようなきちんとした文章を提出し、面接官の質問を聞くや否や、何度もリハーサルしたような答えを「立て板に水」のように話したりします。
しかし、面接官の10人に9人は、このような学生を好みません。
この世の中に読んでいない本などない、と言わんばかりの学生もいます。中には、私が書いた本を読んだかのように言う学生もいました。
けれどもいくつか質問してみると、実際には数ページめくっただけだとすぐにわかってしまいます。
数々の受賞歴を持つ、いわゆるハイスペックな志願者にもたくさん会いました。しかし、オックスフォードの教授らは、派手なスペックには興味がありません。100冊の本より1冊の本、多様な経験や受賞履歴より一つの関心事を掘り下げる考えの深さに興味を示します。
特定の領域への燃えるような情熱を示す、少数の人材を探すのです。
ある年、入試面接でトミーという学生に会いました。なぜオックスフォードで学びたいのか尋ねると、トミーは「お金持ちになりたいから」と答えました。こんな返事をする学生はほぼいません。
でも、トミーはとても堂々と自分の話をしました。家族の中で大学に行った者はいないけれど、勉強して父の営む整備工場をもっとうまく経営し、金持ちになりたいのです、と。
自分の望みを正直に、胸を張って表明しました。面接官たちはそんなトミーに、イートン・カレッジなどの名門校で仕込んだ答弁をした学生よりも高い点数を与えました。
トミーはオックスフォードを優れた成績で卒業し、今はビジネス経営を成功させています。面接のときのように、たくましく堂々と、幸せになっています。
彼は、いわゆる変わり者の学生でした。オックスフォードは、自分自身を率直に表現できる、度胸のある人を待っています。未来の大学、未来の社会が求める人材は、そういう人々だからです。
オックスフォード大学は、これまで成し遂げたことよりも、将来の可能性を重く考えます。よい環境でよい教育を受けた秀才より、厳しい環境の中で格別な恩恵は受けずとも、うまく育てれば大木になりうる、隠れた原石のような人材を発掘しようとするのです。
オックスフォードに志願するためには、普通「Aレベル」と呼ばれるイギリスの学力試験で3教科Aを取らなければならないとされていますが、ときには点数が少し足りない志願者も来ます。
オックスフォードはこのような学生たちを合格させるケースも珍しくなく、家庭の事情が苦しい学生たちには全額奨学金を提供します。
そうして奨学金を受けて勉強した学生たちは、成功したのちに学校に寄付し、過去の自分と似た境遇の後輩たちを奨学金で応援します。