一泊旅行で「老後の生活会議」の話し合いをまとめた夫婦
仕事を辞め、年金暮らしになるのは人生における一大転機です。
聖書に「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉がありますが、逆に考えると、ともかく「パン代だけは確保しなければいけない」のです。パンとは生活していくうえで、どうしても必要なお金という意味です。
それを支える収入が半分近くに減ってしまうわけですから、「何とかなるだろう」と漫然と年金暮らしに入っていくのは、やはり無謀といわれても仕方がないでしょう。
夫婦二人の老後でも「ひとり老後」でも、年金暮らしを始める前に、お互いに向き合い、あるいは自分自身としっかり向き合って、今後の生活について忌憚のない話し合いをする――。一人の場合なら、改めて自覚を持つべきでしょう。
最近は年金の支給開始前でも、自分がいくらくらい年金を受け取ることができるか教えてくれますから、社会保険庁などに問い合わせ、正確な数字を把握することをお勧めします。
同時に、預金や投資信託、株券、保険などの蓄えやローン残債、ほかに借入金がある場合はそれらも書き出し、わが家(そして自分自身)の財政状態の全容を再認識することも必要です。
Mさん夫婦は、わざわざ一泊旅行に出かけ、旅先で「老後の生活会議」をしたそうです。家でやるとかえって集中しにくく、あげくの果てに「結局、一生、やりくり算段して暮らさなければならないのね!」などという深刻な言葉が飛び出すことになりかねないでしょう。
これまでも、定年後のお金の話をすると思わぬ口論になってしまい、不愉快になるだけで、何も進んでいかないという経緯があったそうです。
「これしか使えないんだ」ではなく、「これだけ使えるんだ」
その「老後の生活会議」の結果、年金から食費、光熱費など基本的な生活費を差し引いた残りを、夫婦で2分の1ずつ分けることにしました。そのお金については、どう使おうとお互いに口を出さない取り決めです。
退職金は、住宅ローンの残りを一括返済し、さらにこれまで目をつぶっていた家の修理やリフォームなどで半分以上消えてしまったそうですが、少なくともあと十数年は大きな修理をせずとも、住み続けられるようになったのでひと安心。
残りは、不意の病気や介護が必要になったときの備えや、子どもの結婚費用の一部負担などのためにきっちり蓄えておこうと話し合いがまとまったと、安堵の表情を浮かべていました。
それとは別に、奥さんが長年積み立ててきた郵便局の貯金が多少あったので、これは夫婦で旅行などの資金にすることにしたそうです。
このように「老後経済」の枠組みが明らかになると、ある種の自覚というか、覚悟が決まり、漠然とした不安はなくなるはずです。また、枠組みを捉えるときに、「これしか使えないんだ」ではなく、「これだけ使えるんだ」とプラスに考えるようにすることも大事です。
「自分のポケットの中の小銭は、他人のポケットの中の大金に勝る」
文豪セルバンテスはこう語っていますが、まさしく名言ではありませんか。自分のポケットの中のお金を、どう生かしてこれからの人生を楽しんでいくのか。まさに豊富な人生経験の生かし時です。人生は、まだまだ先に続くのです。
ふたを開けるのが怖いからと、お金に目をつむって漠然とした不安を抱えるのではなく、まず老後の財布を再点検し、そのなかで目いっぱい楽しんで暮らしていくことを考えるようにしましょう。