日本の敗北を予想していた「総力戦研究所」

総力戦研究所は、1940年9月に開設された内閣総理大臣直轄の研究所で、アメリカとの戦闘を意識した総力戦に関する基本的な調査・研究を行うとともに、若手のエリートに対して国家総力戦体制に向けた教育と訓練をすることを目的としていた。各官庁や陸海軍、民間などから若手のエリートが選抜され、航一のモデルであった三淵乾太郎(のちに嘉子と再婚)も選ばれていた。研究生たちによる演習用の模擬内閣も組織され、三淵は司法大臣兼法制局長官となって、机上演習を展開していた。現実でも、総力戦研究所は日本の敗北を予想していた。つまり、彼らは開戦前から結果はわかっていたということになる。

現実の三淵乾太郎が敗戦後、そうした戦争責任を感じていたかどうかはわからない。しかし、「虎に翼」での航一は、出征して亡くなった寅子の夫である優三も含めて、戦争で多くの人が亡くなってしまったことの責任の一端は自分にもあると考えていた。こういった部分に、大元帥である天皇、天皇制という話はまったく出てこない。

昭和天皇の戦争責任論が再燃した“ある発言”

星航一の父親は初代最高裁判所長官の星朋彦で、そのモデルであった三淵忠彦は、天皇制に大きな影響を与えた人物である。敗戦後の東京裁判結審が近づいた1948年5月、「週刊朝日」の「憮然たる世相の弁」という佐々木惣一(京大名誉教授)、長谷川如是閑(評論家)との鼎談のなかで、三淵は次のような発言をしていた。

佐々木:「仮に天皇が道義的に退位を自ら望むなら国会に表明、国会で決定すべき」

三淵:「自らを責めることは妨げられない」「終戦当時陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかつたか、ということを非常に遺憾に思う」

佐々木:「まつたくそうだ」

この発言を機に、昭和天皇の戦争責任論が再燃、天皇の退位論が国内外で沸騰した。もちろん、「虎に翼」では、航一の父親である星朋彦のこうした姿も描かれていない。

では、天皇制をこのドラマでは隠そうとしているのか。そうではないだろう。