「犯罪者は懲らしめなければ反省しない」は間違い

この現状に危機感を抱いた法務省が、「懲らしめるだけでは受刑者を立ち直らせることはできない。もっと教育に力を入れなければ」と、方針転換を決意したことを僕は評価したい。でも大事なのはお題目ではなく、実効性ある施策の立案と実行である。そのためには、受刑者一人ひとりの来歴や環境に応じたきめ細かい教育指導を行う現場の意識改革、職員数の大幅増、新しい職制の導入が必要になる。

刑務所での勤務経験があるという浜井浩一龍谷大学教授(犯罪学)は、現在の刑務所のあり方について興味深い問題提起を行っている(『朝日新聞グローブ』2022年9月4日付「変わる刑務所」特集)。

このなかで浜井教授は、「『犯罪者は懲らしめなければ反省しない』と思いがちですが、懲らしめただけで反省する人はいない。人道的処遇では犯罪者をつけ上がらせるという指摘がありますが、私の経験では受刑者が反省したり、更生に向かうポジティブな気持ちを抱いたりするのは、自分が人間らしく、尊厳をもって扱われた時です」と言う。さらに、日本の刑務所では社会で必要な「自発性」を養っていない、と語る。

僕は浜井先生の論文を読んで、キーワードは「真剣な反省への導き」「立ち直りへの環境整備」「自発性の涵養」だと考えた。

河井克行氏
首相官邸ホームページより
河井克行氏

堀の中の不自由

受刑者は本当に反省しているのか? 人の内面をつかむことは実に難しい。おそらく刑務所は、「不自由な環境に置くことで受刑者を反省させることができる」という前提で営まれているんだろうと思う。

その証拠に、入所直後のあっさり簡単なものを除くと、反省度合いの進捗や贖罪意識の深化などについて受刑者が職員から面談されることは、仮釈放まで一度もないという。専門性のある人員を確保できないからだろうか。

受刑者の内心の把握は、各工場に配置されている刑務官に任せれば良いと思われるかもしれないが、彼らは受刑者の監視や刑務作業の指導で完全に手一杯である。受刑者の心情把握をすることにまで手が回らないのだろう。

たとえば僕の工場を例に挙げると、僕たち受刑者は、工場で黙ってまっすぐ前だけを見て椅子に座る以外は、何もしてはいけない。全ての動作には、担当刑務官の許しがいるのだ。

それを怠ると、即座に厳しい調査に数週間連行され、懲罰と決まると、数週間ただひたすら正座させられるだけの独房に入れられる。すると、受刑者としての「類」が下げられて、面会や発信の回数が減ったり、仮釈放が遠のいたりするのだ。