地上619メートルまで到達した工事現場を震度5強が襲った
季節は冬。スカイツリーの足元は吹きさらしで寒風が舞った。が、上空の寒さは比較にならないほど過酷だったと、鈴木組の大熊は言う。
「天気には敏感になった。下は雨でも上は雪の日が結構あって、クレーンのフックが凍ってしまうんです。朝、そのままクレーンを動かすと、ワイヤーについている氷が飛んで下に落ちてしまうから、夜のうちに不凍液をかけたり、明け方に上まで氷を溶かしに行ったりして、寝不足になることも多かった」
冬場を乗り切り、春が訪れる頃には、スカイツリーは無事に634メートルに到達しているはず。現場には、ゴールを目前にした高揚感があった。
しかし、“無事”では済まなかった。巨大なタワーが横に5メートル揺れた――。
2011(平成23)年3月11日。その日、スカイツリーの高さは619メートルに達していた。ゲイン塔はすでに9割が塔体の上に引き揚げられ、残すは1割。根元を留める固定装置が、付け替えのために一部外されていた。
「2時だよ、リフトアップは2時に再開!」
昼休憩を取る鳶たちに、半田が呼びかける。2時7分。雪がちらつく中でリフトアップがスタート。
ほどなく、“あの瞬間”を迎えた。「地鳴りがした」と話すのは、地上にいた鉄骨班主任の小林である。
「1階部分から見上げると、タワークレーンが大きく揺れて、スカイツリーの塔体から見えたり、隠れたりしていた光景が今も鮮明に目に焼き付いています」
最上部にあるクレーンが「暴れて」倒壊の可能性も考えた
鈴木組の大熊は、4階部分からタワークレーンを見ていた。
「クレーンが暴れていた。その後を追うようにゲイン塔が揺れ始めて、そのまま落ちてくるんじゃないかと、まわりはみんなパニックになっていた」
「思い出すだけでも恐ろしい」と述べるのは、495メートル地点にいたリフトアップ班の籏持だ。
「とにかく急いで全員避難させなければならないと思いましたが、みんな手すりにしがみついたり、床に這っていたりして、立っていることもできない状況でした」
地震対策の切り札である心柱は、まだ建設途中だった。未曽有の被害をもたらした東日本大震災は、スカイツリー建設にとって最悪のタイミングで襲ってきたと田辺は言う。
「固定装置が一段外されていたゲイン塔は非常に不安定な状態で、施工の過程で一番の弱点を突かれたと思いました。かと言って、そのとき私は隣のビルの10階にいましたから、何もできないわけですよ。揺れの恐怖を感じながら、現場の無事を祈るしかなかった」