「どこに連れていかれるか分からない」喋りのコワさ

さて、本題である。

突然だが、しゃべるときは「結論、根拠、結論、根拠」の順番でやると上手くいきやすい。プレゼンテーションのときは特にそうだ。

一番、いけないのは「どこに連れていかれるか分からない」ようなダラダラした喋りである。「昨日、○○があってー、そこで××に会って、それでー」と延々と話が展開されるのだが、「だから結局何が言いたいのですか」が分からない。いつ、この話が終わるかも分からない。本当に、この話が終わるのかすら、分からない。聞く方は不安になるし、忙しいときはとてもイライラさせられる。

結論を先に言えば、「ここがゴールなんだな」と理解できる。そして、その直後に「というのは……」と根拠を述べれば、なぜこの結論が導き出されたのかも理解できる。非常に理解しやすい話の持っていきかただ。

もちろん、「どこに連れていかれるか分からない」喋りの存在価値がゼロということはない。

例えば、デートのときだ。デートは相手と同じ場所にいて、相手と会話すること自体が目的だ。よって、会話の内容自体には、特に意味なんてなくてもよい。議論に結論がつかなくたって、問題が解決しなくたって構わない。いや、むしろ結論なんてつけないほうがよいときも多い。愛する人が、美しい声で、楽しそうに喋っているのを眺めているだけで幸せになれるのだから。「喋りの構造」などに拘泥こうでいする必要はない。拘泥しない方が良い。

私は医者だから、患者が「どこに連れていかれるか分からない」喋り方をするのには慣れている。仕事だから、そのときは割り切る。ゴルゴ13のように「要点を聞こう」などと上から目線で要求できるのは、極端に信頼されている名医だけである。

医療面接
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「急がば回れ」が有効な例外

外来診療は「仕事」だから、まずは患者が気分良くなったり、元気になってもらわねばならない。その一助になるのであれば、「どこに連れていかれるか分からない」話が続くのは仕方がなかろう。長話できる患者は、相対的には(しゃべる力もない患者よりはずっと)元気なのだし。

もちろん、患者が理路整然と自分の心身の問題をスピーチしてくれたほうがこちらの理解も早いので便利といえば便利だが、患者の喋り方のくせ、思考の流れの特徴などを理解するのも、等しく患者や病態の理解には役に立つことも多い。そういう意味では、「素のままの」患者を出していただいたほうが、「急がば回れ」でより良かったりするのだ。

このように「どこに連れていかれるか分からない」喋り方にも効用がないわけではない。が、一般的に言えば、それは社会生活においては不便な喋り方だ。こういう喋り方で聞き手の評価が高まることはまずないし(前述の例外は除く)、時間は浪費されるし、問題解決の助けにはなりにくい。

だから、回診のときにも、医学生や研修医には「結論、根拠、結論、根拠」の順番でプレゼンするように促している。こうすれば、自ずと事の本質をつかめるようになるからだ。