自分で商売をしているつもりでやる
「きょうの売上げはいくらになったか」
突然の質問に答えるべく、日計表を取り出そうとした担当者に、幸之助は言った。
「きみ、日計表を見なければ返事ができないようでは、ほんとうに真剣に仕事をしているとは言えんな。きのうまでの売上げはいくら、きょうはいくら、今月の目標はいくらだから何パーセントの達成率で、月末までの見込みはいくらだ、ということが常に頭に入っていなければほんとうの商売人やない。それはおそらくきみが店員として使われているという気持ちだからだと思う。きみ自身が自分で商売しているつもりでやってみてくれ!」
何のための仕事をしているのか
昭和13(1938)年ごろのことである。
毎日のように工場と事務所を巡回していた幸之助が、ある青年社員に声をかけた。
「きみ、その仕事は何をやっているのかね」
「はい、これは販売統計表です」
「その統計表は何のためのものかね」
青年は答えられなかった。
「だれから指示されたのかね」
「主任です」
幸之助は主任を呼び、尋ねた。
「この統計表は何のためのものかね」
主任も的確な回答ができなかった。幸之助は、
「仕事をする場合、あるいは仕事を指示する場合には、必ず目的をはっきりさせていなければいかんよ」
のちに幹部となった社員の、入社2カ月目の思い出である。
*「問う」を発する際、重要なのは人に考えさせること。その点が幸之助のコミュニケーションの特徴で、その問いは、経営の本質を突くものがほとんどであった。
「いちばん高いところ」での会議
扇風機事業部は、扇風機という季節商品だけでは事業が成り立たないと、製造を担当する大阪電気精器と共同し、年中売れる商品として換気扇を開発した。しかし最初のころは、月産わずか200台、せいぜい食堂の厨房に業務用として使われる程度で、商売にならなかった。
関係者が集まっていろいろ考え、それまでの排気扇という名を換気扇に変えるなど、イメージの刷新をはかったが、それでも在庫が増える一方であった。
事業部長がそうした状況を幸之助に報告したところ、
「それは急には売れんだろう。だけど必ず売れる方法があるはずだ。一度、おもだった人と大阪のいちばん高いところで会議をしてみたらどうかね」
と言われた。
当時、大阪でいちばん高いところといえば、大阪城であった。気楽な気持ちで大阪城に上った部課長、技術者たちは、
「ずいぶん家が並んでいるなあ」
と、景色を眺めていて、ふと気づいた。
「これらの家には一台も換気扇がついていない。この一軒一軒に換気扇をつければ相当な需要になる」
この会議を契機に、公団住宅用の換気扇を開発するなど、一大開発運動が展開された。
やがて、換気扇が一台もない家のほうが珍しい時代となった。