著作の巻頭を飾る皇国史観支持者たちの書
日本人とユダヤ人は共通の祖を持つとする日猶同祖論が偽史運動の典型であり、戦前は皇国史観と結びつきながら日本で展開したことは広く知られている。
実際、『光りは東方より』を開くと、最初に目に飛び込んでくるのは靖国神社3代目宮司の賀茂百樹(1867〜1941年)の書である。それに続いて、陸軍大将・荒木貞夫(1877〜1966年、皇道派の中心人物、後にA級戦犯)、海軍大将・山本英輔(1876〜1962年、陸軍皇道派に共感)の書が掲げられる。そして最後が頭山満(1855〜1944年、右翼団体・玄洋社の創設者)の書だ。
頭山の書「一神照萬邦」は、キクの「日本天皇とは世界の天皇すなわちメシヤなり」という確信とぴったりと重なる。彼女の思想が当時の社会政治的な文脈と人脈の中で形成されたことは疑いがない。
聖地巡礼を通じて信仰をつきつめ聖書を深く理解
一方で注目したいのが、そもそもの発端である竹内巨麿が神道の流れをくむ宗教家だったのに対し、山根キクは、神学校で学んだクリスチャンだったことだ。先述の通り、周囲との軋轢の中で貫き通したマイノリティの信仰であり、キクの軸足の一方は間違いなくキリスト教にあった。
キク自身の中では当たり前に信仰をつきつめていった結果、キリスト青森渡来説が説得力ある仮説として浮上した。キリストの死をイスキリの死に置き換えることで、聖書のより深い理解に至ったと確信できたのである。
ちなみに、山根キクの誕生日は6月1日である。毎年6月の第一日曜日に開催される新郷村のキリスト祭とほぼ同じ時期だ。そして、キクが亡くなったのが1965年である。その前年に第1回のキリスト祭が開催されており、今年はキクの60回忌にも当たる。
60周年の今年は、日本人旅行者と外国人旅行者に対し、それぞれ1泊2日と2泊3日のミステリーバスツアーも販売されている(いずれも募集終了)。そのルートは、キクが実地調査のために戸来村に向かった道筋と重なる部分が多い。およそ100年前、信仰の真実を求めたキクの聖地巡礼の道程を改めて聖地巡礼してみてはどうだろうか。