キリストはユダにだけは身代わりを打ち明けていた

またキクは、渡来説の観点から聖書の登場人物を再評価する。例えばユダである。銀貨30枚でキリストを売ったとされる裏切り者だ。しかし、キクによれば、ユダはキリスト一行の金銭管理を任されていたのだから、もっとも信頼されていた弟子であったはずだ。したがって、キリストは逮捕直前、ユダだけにはイスキリの身代わりを打ち明けていたとキクはいう。

身代わり作戦を成就させるため、ユダはイスキリに接吻し、「この人がキリストだ」とローマ兵に告げた。ユダは誰よりも忠実だったからこそ、あえて裏切り者の汚名をかぶった。実に偉大な弟子だったというのである。

こうした考察を踏まえた上で、キクは実地調査のために青森に旅立つ。八戸で案内役の市会議員と水産学校教師と合流し、戸来村(新郷村の旧名)へと自動車で向かう。車窓から眺めれば、青森の人々の顔立ちはユダヤ人に似ており、鼻が高い。

さらに、青森県南部には、南部曲がり屋と呼ばれる主屋と馬屋が棟続きになった独特の建築がある。キクはマリアがキリストを馬小屋で出産した逸話を想起し、これもユダヤ由来の建築様式だと推測する。

エデンの園は陸奥にあり、日本はムー大陸であった

いよいよ戸来村に到着すると佐々木村長が出迎えてくれた。そして、十来塚と十代墓を実見し、これこそがキリストの墓だと感得する。興味深い傍証も見つけた。墓地を所有するS家の子孫は、村では「ミコのあと」と呼ばれてきた。キクはそれが「神の子のあと」が変化したものであることに気づく。そしてS家当主と面談するが、その顔貌が以前見たキリスト像と酷似しており、キリストの子孫であることを確信する。

“キリストの子孫”を挟んで座るキク(右)と村長
“キリストの子孫”を挟んで座るキク(右)と村長(『光りは東方より』国立国会図書館デジタルコレクションより)

それでは、なぜキリストは戸来村を終焉の地に選んだのか。その答えは、新郷村から十和田湖方面へ進んだところにある迷ケ平まよがたいにあった。現在は自然休養林となっているが、迷ケ平を訪れたキクは、そこが世界の始まった場所であることに気づく。

キクがヒントにしたのは、ジェームズ・チャーチワードの『ムー大陸の子孫たち』(1931年)である。かつて太平洋に巨大な大陸があり、天変地異で海中に沈んだと主張する著作だ。キクによれば、日本語では、1月を睦月(ムつき)と呼ぶように、物事の始まりをムの音で表現してきた。したがって、陸奥(ムつ)という地名は、東北が始まりの地であったことを示唆する。

そして、迷ケ平には眉ケ平という字もあてられる。すなわち、ミユケ平であり、縮めればミユ平となり、ム平となる。こうした考察から、キクは、日本が世界の始原たるムー大陸であり(チャーチワードは水没したと誤解した)、その中でも、陸奥に所在する迷ケ平こそ、すべてが始まったエデンの園だと結論する。

だからこそ、古今東西の賢者たちは日本を目指して修行を積んだ。『光りは東方より』では、キリストの墓と同様の調査と推論に基づいて、モーセの墓は石川県、ユダヤ人の祖とされるヨセフを祀ったのが神奈川県の阿夫利神社、そして、釈迦の修行地と入滅地は長野県だと比定される。