手に入れたのは自信だった

だが、取材に行ってわかったのは、それはワーホリの魅力の、ほんの一部だった、ということである。もっと言えば、彼らの多くが求めていたのは、お金ではなかった。閉塞する日本を離れ、新天地に身を置くことで、新しい人生、日本では得られない人生を拓こうとしていたのだ。

そして実際に、かけがえのない体験を得て、人生を大きく変えていった若者が少なくなかった。

オーストラリアにワーホリでやってきて、介護アルバイトで80万円の月収を得ていた女性看護師は、日本で国際訪問看護ステーションを作る、という現地で見つけた夢に向かって歩みを進めていた。

海外経験は一度のアメリカ滞在しかなかったのに、「同じ毎日の繰り返し。もっと違う世界が、違う人生があるんじゃないか」と思い切って30歳でワーホリを決断した女性は、人生が一気に動き出した。英語を学ぼうとしていたら外国人男性と恋に落ち、一緒にオーストラリアへワーホリで来ることに。毎日が新鮮で楽しい、いろんな景色を見てきたい、と語っていた。

日本で働き続ける未来にまったくワクワクできなかったという24歳の男性は、現地に着いて3カ月で時給31豪ドル以上というレストランの仕事で月に50万円以上稼ぎ、わずか1年足らずで200万円以上を貯金してSNSで話題になっていた。

彼が手に入れていたのは、世界のどこでも生きていけるという自信だった。現地で仕事を見つけて、稼げばいい。少なくとも30歳までは、ワーホリの権利を使い倒して楽しみたいと語っていた。

笑顔で手を上げるさまざまな人種の仲間たち
写真=iStock.com/Rawpixel
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日本では得られないキャリアづくり

独自のコーヒー文化が進化し、アメリカ発祥のコーヒーショップはほとんど見かけなかったオーストラリアでは、カフェで働くことのステータスは高い。中でも人気の職業は、バリスタ。エスプレッソをはじめとする、さまざまなコーヒーを淹れるスキルを持つ仕事。そのバリスタとしてシドニーの有名店で働いている26歳のワーホリ男性がいた。

日本へのぼんやりとした不安と、世界を見てみないと危うい、と漠然と思ってワーホリにやってきた女性美容師は、「日本を出ることができたという事実だけでも、とても大事なことだと思うので」と語っていた。

ワーホリを日本では得ることのできないキャリアづくりに活かした若者たちもいた。オーストラリアでは最長3年、ワーホリで滞在できる。その後、専門学校に入って学生ビザを手に入れることもできる。学生ビザなら、30歳を過ぎていても取得できるし、働くことも可能だ。

数十万円の費用で通うことができる専門学校もあるため、そのままオーストラリアに残る選択をする人もいる。また、オーストラリアの大学や大学院に入ったという人も。社会人の学び直し、あるいは学歴を海外でさらに高める。そんな選択肢もあるのだ。

外国人には大学や大学院の費用はとても高額だが、頑張ってアルバイトで稼いで学費の大部分を貯めた、という人もいた。