※本稿は、石丸伸二『覚悟の論理』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。
挑戦に必要なのは、意思と能力の両輪
自分はどうしたいか。何に自分を使うか。その目的が定まったなら、あとは目的達成のための効果的・効率的な手段を探せばいい。そこからは迷わずに合理的な選択をしていくだけです。
厳しい言い方をすれば、「自分ならできる」と道筋を描けないのだとしたら、それはただ根拠なく思い込んでいるだけです。
思い込み自体は悪いことではありませんが、思い込みだけの状態で何かに挑戦しようとしても、周りの人から「本当にできるの?」「こんなリスクもあるよ」と突っ込まれたり、ちょっとでも思う通りにならなかったりすると自分の気持ちが揺らいでしまい、「できないかも」と諦めてしまう可能性が高くなります。
何かに挑戦するときには、意思と能力の両輪が必要です。「こうなりたい」と「こうすればできる」のどちらをも備えて、動き出すのが正しい挑戦だと考えます
戦略とは、自分がどの方向に向かっていくかを示したものです。
私の場合なら「安芸高田市を何とかしたい」という思いで政治の世界を志しました。
政治家としては「自分の理想とする政治家像を実現したい」という戦略を、人口減少、少子・高齢化、そして厳しい財政状況の課題に直面している安芸高田市の市長としては「財政赤字を食い止め、生き残りを」という戦略を立てました。
状況を読み、「勝てる」道筋を見通す
これに対して私は「私ならできる」という読みがありました。
たとえば選挙。理想の政治家像を実現するにも、当選しなければ始まりません。突然「市長に立候補します」と言って、20年ぶりに帰省した私。それまで地元の選挙活動に加わったこともなく、立候補した段階では後援会すらありませんでしたが、正直に言って「勝てるだろう」と予想していました。
というのも、河井夫妻選挙違反事件ののち、前市長が「託せる人」とした前副市長が立候補したわけですが、当時の議会にいた議員18人全員が前副市長を支持していたのです。議会と前市長・前副市長の間で典型的な「持ちつ持たれつ」の関係があることは当然推測できる状況でした。それに対して、市民がおかしいと思わないわけがない。
そこにこれまでのしがらみとは無縁の私が「新しい政治」を掲げ、政治腐敗の流れを断ち切る存在として現れれば、勝機はある。そう予想できたから、私は会社を辞めたのです。
また、地方都市が抱えている一番の問題が財政難です。その点、私は経済の専門家。前職での15年の経験は、必ず市長としての仕事に生かせるだろうと自信を持っていました。
一方で、万が一うまくいかなくても、代わりの仕事を探すのは難しくないと考えていました。つまり、個人の人生にとって損失は限定されていたのです。さらに言えば、社会においては一時的に失業者が一人増えるだけの現象です。
こうした論理の構築があってはじめて「私ならできる、やるべきだ」と覚悟することができたのです。