ニュース番組がはまった「数字の呪縛」

テレビの報道局幹部は1分ごとの視聴率を用い、あるニュースのどの場面で他局に移られたかを把握できた。そこで、ニュース番組ではどのニュースも幅広い視聴者を確実につかむようなものに仕立てた。しかしこの戦略は視聴者減少を食い止めるにはほとんど役立たなかった。むしろ加速させたかも知れなかった。

「報道機関は自縄自縛になっている」と説明するのは、NBCはじめメディア向けの読者・視聴者調査をしてきたジョン・キャリーだ。「長年、こうした視聴率の数字を追い、高い数字を取れる題材をやり、そしてそのパターンにはまる」。

その結果、プライムタイムのニュース雑誌型番組は「古い視聴者を重視し、もっと感情的に、もっとセンセーショナルになる」一方で、多数の視聴者に見放される。「ある意味ネットワークテレビ局の人たちもそれは分かっているのだが、どうやってそこから脱出すればいいか分からないのだ」。キャリーはプライムタイムの雑誌型番組がブームだった時期にこう指摘していた。彼は正しかった。

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「愚かな視聴者は衝撃映像が好き」という神話

他方、地方テレビ局の報道幹部たちは、視聴者をどう増やすかについて古くからの考えに基づいて動きがちだった。視聴者は相当な愚か者で、こちらから仕掛ける必要があるというのだ。

こうした神話の一つが、番組の冒頭に衝撃的な映像を出せば視聴者をつかめ、見続けさせられるという考えだ。関連してもう一つ、そうした映像に目を向けることになる犯罪や公共安全のニュースは視聴率を取れるが、市民としての課題や、政策や政府についての情報が詰まったニュースでは視聴者が逃げるというものだ。

幹部たちはこうした思い込みが自分なりの視聴率データ解釈で追認されると考える。そしてテレビコンサルタントが作った安価な市場調査――昔ながらの業界の言い伝えを無意識に強調するものだ――によってもだ。しかし、精密な調査をすればこうした昔ながらの考えの多くは否定される。

そのもっとも詳細な取り組みは、何年にもわたる「ジャーナリズムの真髄プロジェクト」がハーバード大学ショレンスタイン・センター、ハワイ大学と協力して行っているものだ。

いくつもの段階に分かれている。個別の報道をテーマで単純分類せず、取材・報道の水準と質で分ける。視聴率は1分ごとには見ず、時間の経過と合わせて検討し、より深い傾向を把握する。そして視聴者が1つの局にどう反応したかを見るのでなく、コンテンツと長い目で見た視聴率との関係を多数の局を貫いて検討し、より精緻な資料を生み出す。