人生、7割は思うようにはいかないもの

読み書き算盤の技能と強い気持ちがあれば夢は持てる!<br><strong>アークス代表取締役社長 横山 清</strong>●1935年、北海道生まれ。60年北海道大学卒。61年ダイマルスーパー入社。85年社長就任。2002年スーパー連合アークス社長に。
読み書き算盤の技能と強い気持ちがあれば夢は持てる!
アークス代表取締役社長 横山 清
1935年、北海道生まれ。60年北海道大学卒。61年ダイマルスーパー入社。85年社長就任。2002年スーパー連合アークス社長に。

青果店と鮮魚店と精肉店が一緒になったスーパーで「いらっしゃいませ」と挨拶をし続けて約半世紀。この本社がある札幌という地方の街に、私の人生は集積されているといってもいい。

故・伊丹十三監督の『スーパーの女』が初めて上映されたとき、いっしょに見た家内は「あれはうちのことを映画にしたんじゃないの」と泣き出した。映画ではスーパーの経営者が冷蔵庫に閉じ込められ嫌がらせされていたが、あんなことはしょっちゅうあった。例えば肉の職人が牛肉の一番よい部位を地元のレストランに売り飛ばし小遣いを稼ぐなんていうこともザラ。昔のスーパーはそれぞれの職人たちの縄張りでがっちりと固められ、トップとしてその中に入りこみ、店を変えていくことは容易ではなかった。

実は小売りも好きで始めたわけではなかった。高卒で芦別の炭坑で2年働き、北海道大学水産学部に入った。出る頃には200海里問題で漁業が斜陽になり、いつも“ラストランナー”だった。ようやく辿り着いた商社でネクタイしめて働き始めたら、「経営が思わしくないのでスーパーに行け」と言われただけだ。

私の人生、暗かったといえば暗かった。努力してそれが報いられて、理想の生活を実現できればいいが、7割は思うようにいかないことがあると思う。それでも食べることも生きることも、真剣に飽きずにやってきたからこそ、この消費不況の中で「元気なスーパーの代表選手」と言われるまでになったと思っている。

だから、「田舎には夢がない」という子供には、夢のある場所を求めても夢は掴めないよ。田舎にいても都会にいても、夢は自分でつくるものであって、夢のある場所があるわけではない――と、こんなふうに話すしかないと思う。