「目の前で名刺を破られた」忘れられない日

大和証券に入社した後、川崎支店に配属された。5年間、靴底をすり減らし、川崎の町を歩き回って営業した。地域の中堅企業経営者を訪問するのが日課だった。ビルに入っている企業、通りの両側に事務所を構えている会社、どんなところでも飛び込んでいって名刺を渡してきた。ガッツのある男なのである。

彼にはどうしても忘れられないことがある。

まだ営業を始めたばかりの頃だった。いつものように飛び込み営業をしたら、そこの社長に「いや、いいんだ。株を買う気はない」とやさしい口調で断られた。しかし、営業員の仕事は断られてから始まる。

「いえいえ、社長、もしかすると気が変わることもあるかもしれません。名刺だけ受け取っていただけませんか」

森本は笑みをたたえて言った。ただし、営業用の微笑みではある。

「いや、いらない。気が変わることはないから、名刺は要らない。だいたい、お前の会社はオレにいくら損をさせたと思っているんだ」

「社長、わかりました。すみませんでした。名刺はここに置いて帰ります」

そう言って、社長の机の上に名刺を置いたら、社長は手に取り、顔色も変えずに、森本の名刺を破り捨て、そのまま灰皿に捨てた。

森本は様子をじっと見た。灰皿に捨てられた名刺をストップモーションで見つめて、そのまま何も言わずに軽く会釈して帰ってきた。

最前線で営業をやりたいと思いやってきたが…

証券会社の営業員であれば、それに近い経験を持っている者は少なくないだろう。この時、森本は心の底から「お客さまに喜んでいただける営業員になりたい」と感じた。

川崎支店の後、本社のウェルスマネジメント部という富裕層向けビジネスのセクションに移る。ただ、そこは営業のサポートをする部署だ。支店の営業員が担当する顧客が事業承継、相続、海外移住などに「関心がある」となったら、本社からウェルスマネジメント部の部員が出ていって相談に乗る。

その後、シンガポールにやってきた。

シンガポールの街
撮影=永見亜弓

「自分は最前線で営業をやりたいと思ってシンガポールに来たんです。でも、最初はほんときつかった。人脈も何もないからお客さまはゼロなんです。山本さん、平崎さんは実績を上げていましたけれど、自分はゼロ。きつかったです。

最初は県人会、日本人会の集まりに顔を出すところから始めました。シンガポールの県人会はその県で生まれていなくてもいいんです。その県で働いたことがあるとか、短い期間でも住んでいたことがあれば出席してもいい。

僕は2桁の県人会に参加しました。そこの賀詞交歓会とかクリスマスパーティとかに参加して、移住者の資産家に出会うチャンスを待つわけです。資産家とは滅多に会えませんから、そこで聞いた情報を元に飛び込み営業も行いました。それでやっと半年くらいしてから仕事が回るようになりました」