金持ちほど合理性だけでは動かない

ある外資系プライベートバンクが開催した顧客向けゴルフコンペの「ホールインワン賞」はフェラーリ1台だったという。

一方、大和証券シンガポールの富裕層セクションもまたゴルフコンペで賞品を出す。しかし、いたってつつましいもので、優勝した人でもシンガポール高島屋の商品券だ。フェラーリ1台とはずいぶん違う。それでも外資系プライベートバンクより大和証券を贔屓ひいきにする資産家がいるのは、金だけではないサービスやコミュニケーションを求める人がいるからだ。

庶民は富裕層、資産家と聞くと、金だけを追求する合理的人間と思い込むところがある。けれど、人間は複雑だ。金持ちほど金の価値をさほど評価していないところもある。金を持った人間のなかには永遠に増やしてやろうと思う人もいるだろうが、むしろ、増やさなくてもいいけれど、減らしたくないと考えている人が多いのではないか。

第2回記事に登場した山本幸司、その後を追った平崎を始めとする営業の星たちが来星(シンガポールに来ること)してきて、彼らは営業カルチャーを変えた。欧米系プライベートバンクの手法を真似したのではなく、日本国内でやってきたことをシンガポールでも続けた。おもてなしスピリットと昭和的営業手法で顧客と付き合うことにしたのである。

そうしてみたら、意外と通用してしまった。思えば、彼らがサービスした相手は移住してきた日本人富裕層だ。国内の富裕層と付き合ってきた練達の彼らにしてみればやっていることは同じだったのである。

「親孝行しなくちゃいけない」海を渡った営業職人

森本博仁が大和証券シンガポールのWCSにやってきたのは2016年。国内営業員をシンガポールに派遣し始めてから5年目のことだ。山本、平崎の「おもてなしスピリット」と昭和的営業がある程度の結果を残し始めた時期でもある。

2016年に赴任した森本博仁さん。駆け出しの頃に、営業先の社長に名刺をビリビリに破られた苦い経験が、今の仕事に生きているという
撮影=永見亜弓
2016年に赴任した森本博仁さん。駆け出しの頃に、営業先の社長に名刺をビリビリに破られた苦い経験が、今の仕事に生きているという

森本は兵庫県三木市に生まれた。父親は会社経営者。インテリア関係の会社だったが、父親は「オレの本業は会社の経営じゃない。自分の作品を作ることだ」と言っていた。仕事のかたわらというか、一日の大半は絵を描いたり、陶芸をやったりしていたのである。自宅に登り窯まで設けていたというから、陶芸家と名乗ってもおかしくはない。だが、森本が12歳の時、父親はがんで亡くなった。残された母親が事務職として働き、森本と妹を育てた。

「親孝行しなくちゃいけないですよね。でも、うちの母はまだ働いているので、シンガポールに呼んだこともない。僕は現代アートが好きなんですが、それは父親の影響かもしれません。僕もやはり父みたいに職人風の営業をしていると思っています」