旧藩名を県名に引き継ぐデメリット

静岡藩の改名理由は少し特殊だ。徳川宗家が江戸から府中(駿府ともいうがこちらが正式名称)に移ってきたが、「不忠」に聞こえるとして静岡に改名して、これが藩名となった。

とくに、県名がかつての藩名と一緒だと、法的な性格も領域も旧藩とは違うのに、旧藩士たちが「旧藩と連続性がある」という意識を持ち、県政に介入することが多かったからである。

最初は戊辰戦争の負け組となった仙台で問題になったが、官軍側だった金沢、宇和島などでも同様だった。そこで、政府は改名を許可したのだが、そのときに、政府が推奨したかどうかはともかく、県庁がある郡名にするところが多かった。

現在も残っている県名で言うと、岩手、宮城、茨城、群馬、埼玉、山梨、石川、愛知、三重、滋賀、島根、香川である。また、現在は消滅したものとしては、印旛(佐倉)、新治(土浦)、筑摩(松本)、額田(岡崎)、足羽(福井)、犬上(彦根)、名東(徳島)、三潴(大川市榎津)、白川(熊本)がある。

埼玉は当初、岩槻が県庁所在地候補だった

ここからは特殊事情があった都道府県について説明していく。

秋田は久保田といったが、廃藩置県直前に都市名を郡名である秋田にした。

千葉は鎌倉時代に関東の名族・千葉氏の本拠だったところだが、千葉氏の名字は千葉郡に由来している。

佐賀は竜造寺氏や鍋島氏の本拠地となり、城も城下町も肥前国佐嘉郡にちなんで佐賀と名付けられた。

大分は、もともと府内が大友宗麟や江戸時代の松平氏の城下町の名だが、郡名を取って町も大分と改称した。

宮崎は、鹿児島県に編入されていた都城県と美々津県が独立するときに両県の中間地帯に新しい都市を建設し、郡名をとって県名と都市名を宮崎とした。

鹿児島は、室町時代から島津氏の館が郡内にあったが、江戸時代の初期になって島津家久が鹿児島城を築き城下町の名ともなった。

埼玉の場合は、もともと城下町で日光御成街道の宿場でもあった岩槻に県庁所在地を置こうとしたが、適当な建物がなく浦和宿に県庁を置いた。ただ、浦和は足立郡なのだが、県名は岩槻の所在地の埼玉郡からとったままになった。その後、2001年に浦和・大宮・与野の3市が合併するときに、さいたま市となった。2005年に岩槻市も合流したので、部分的だが晴れて郡名と一致したと言える。