4日後の11月12日、康平さんは埼玉にある実家に帰った。そこでがんが発覚した森永さんと初めて対面する。
「普段と何も変わらなかったですね。ベッドに寝たきりというわけでもないし、会話も普通にできる。暗くなっている様子もない。だから、父とは『がんなんだね』『そうなんだよ』という最初の会話以外は、自分から病気の話はしませんでした」
検査での話や予兆の話などは父から直接聞いた。昨夏に背中に痛みが走ったが数日で治ったこと。最近食欲がなく体重が減ってきたことを医者に相談したら検査をすすめられたこと。そして、CT検査の結果、すい臓に影があると診断された。
「ステージ4のすい臓がんは余命が短いというのはよく聞く話ですし、実際に医者からは『春前ぐらいには死にます』と言われたらしいんです。母はとにかく『困った、困った』とずっと言っていました」
頭をよぎったのは仕事関係者など、周囲への影響だった。森永さんのスケジュールは母親が管理しており、講演などさまざまな仕事の依頼が届く。先々のスケジュールをどこまで受けていいものか。
「まだがんの公表をしていなかったので対応が難しかった。直近での依頼であれば忙しいのでと断れますが、例えば夏の講演を頼まれたときに、死んでいる可能性が高いから受けるわけにもいかず、けれど公表していないから断るに断れない。ラジオやテレビのレギュラー番組もいつまでやっていいのか。できるかできないかは父にしかわからない。母が板挟みになってしまったんです」
生出演ラジオで公表
母親が参ってしまうのを見かね、康平さんは公表を進言。12月27日、森永さんは自身が生出演したラジオで公表した。公表するまでに時間がかかったのは、セカンド、サードオピニオンを求め検査を続けていたからだ。
「最初の検査ではCTを見てすい臓に影があるみたいというだけだったので、センシティブな病気ということもあっていろんな医者の意見を聞こうと話し合いました。別の医者に見てもらったら、スキルス胃がんじゃないかという話が出たり、腺がんの可能性も出てきたり。がん細胞を光らせるPET検査をしてもどこも光らない。5人の医者を転々として、結局どの医者も消去法的にすい臓がんだろうという結論になったんです」
【後編はAERA dot.サイト:森永卓郎さん、がん闘病中でも仕事に張り合い 見守る家族「自由に好きにしてもらおう」】に続く
(編集部・秦正理)