妻・彰子の「月のさわりがない」と妊娠に気づいた一条天皇

「去年の十二月には例のさわり(月経)もなかった。この月も二十日ばかりになってもないし、気分もよくない」と(彰子が)おっしゃっているが、私にはよくわからないが、これは間違いなく、妊娠だろう。早く大殿(道長)や母などにお話し申しあげよう。(『栄花物語』巻八)

これは、一条天皇の言葉である。すでに、寵愛していた故定子ていし皇后が3人も子どもを産んでおり、経験豊かな天皇は、彰子の様子からわかったのであろう。それにしても、夫婦の会話として、なかなか興味深い。彰子の父親である道長が知ったのは、愛人の一人、彰子の女房大輔から耳打ちされたときであり、天皇より遅い。

彰子は、妊娠5カ月目の4月、内裏から上東門じょうとうもん第(土御門第)に退出する。着帯ちゃくたいのことなどをおこなったうえで、6月14日にはまた参内し、7月16日には内裏から退出する。8カ月になっていた。上東門第では、出産の準備がおこなわれ、予定日近くになると、女房たちも大勢集まる。紫式部もその一人。以後、詳しい記録が『紫式部日記』に記されている。

9月9日、彰子は産気づくと、天皇の命令によって造られていた白木しらき御帳みちょうに替えられ、畳や垂れ絹なども白一色の調度の中に移る。それから、本格的な出産劇である。

「紫式部日記絵巻」に描かれた道長の長女・彰子(右)、後一条天皇、後朱雀天皇の生母となった
「紫式部日記絵巻」に描かれた道長の長女・彰子(右)、後一条天皇、後朱雀天皇の生母となった〔「紫式部日記絵巻断簡」(画像=東京国立博物館蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)〕

出産時は僧侶の祈祷の声がうるさく、産婦のいきみ声が紛れたか

山という山、寺という寺を探し求めて大勢呼び集められた効験こうげんある祈禱きとう僧が、声を張り上げ祈禱する。世間に名の知られた陰陽師おんみょうじも、呪文を唱える。外では悪霊を払うために、散米うちまき(魔除けのために米を撒くこと)をする。悪霊を呼び移す「よりまし(祈禱師が霊を一時的に乗り移らせるための媒体)」の口を借り、悪霊たちがわめきたてる。女房たちは、一人のこらず参上して、狭い場所にぎっしり詰め込まれ、声を出し、祈る。こう書いただけで、喧騒けんそうが伝わってきそうである。なんとも、にぎにぎしい、出産イベントが開幕したのである。

当時の出産は、天皇の子どもたちの場合でなくても、僧侶や陰陽師が祈っている史料は多いから、けっこううるさかったようである。当の産婦は、いきみも他の人々には聞かれず、かえって安心していたのかもしれない。