発狂するお受験ママと潰れる子どもたち…過熱した中学受験の戦後処理《中学受験は早熟度判定テストですよ》(山本 一郎)

今年も御三家受験の前はどうしてもピリピリするのですが、来年以降、三男が中学受験を控えて山本家も慌ただしくしております。

激烈に子どもの多かった団塊ジュニア世代にいた私は、勉強だけはやたらできたので御三家やら慶應義塾中等部やらハイエンド校は軒並み合格を頂戴しました。受験戦争ばんざいであります。そこから40年ほど経って振り返ってみると、そんな受験戦士の面影は若さと共にすっかり失われ、介護と子育てに奔走する小太りの白髪のおっさんになっていることを考えれば、社会的地位や稼ぎはともかく俊英も凡人も等しく年を取り、それぞれの人生を送っているのだということを我が身で強く感じます。

小学校の頃は偏差値70以上だったと言っても社会人になって「俺は名門中に合格もらったんだぞ」というマウントは何の意味も持たず、結局は学歴は学歴に過ぎなくてお前が人生で何を為したかですべてが決まるのが社会であるとも言えます。

子どもの学力の良し悪しなんて親のエゴ

うっかり都心に住んでいると、同じマンション内や地域住民などが塾の送り迎えなどでママ友ほか保護者同士の横のつながりができてしまいます。なにぶん山本家には子どもが4人おりますので、家内だけでは当然対応できず、私も送迎に参戦することになるんですが、原則として父親としては居心地が悪いんすよ。

情報収集のためにも仲良くしないといけないけど同列のクラスにいる子どもたちは皆狭き門を目指すライバルのため母親と母親の間に青い放電がバチバチと可視化できるぐらいには緊張感があります。

しかも、親の界隈では中学受験を成功させる『二月の勝者』とかいう絶妙なマンガが出回っていて、お前ね、勝負事ってのは上手くいくやつがいて駄目な結果に終わるのがいて、でも当事者である子どもの人生の先は長く、中学受験で全てが決まるわけでもない。なぜかって? 私を見ろ。いい中学、いい大学に入っても、こうやって徹夜して原稿書いたり政治家とお役人の間に立って両方の顔色見ながら調整頑張っているんだぞ。

そんな子どもの頃の学力の良し悪しなんて、親のエゴ、承認欲求以外に何があるんだっていう話ですよ。

中学受験は親の戦争

通う塾が大手であるほど、実力別クラスで上がった下がったで大騒ぎするのが常で、熾烈な受験を経験してきた親なればこそ「一度落ちると二度と這い上がれない」恐怖を子どもよりむしろ親にプレッシャーとして感じさせる仕組みがあります。かくいう私も、小学校5年のころ父親から、当時最大手だった四谷大塚で「週テストで3,000人中30番以内に入らないと殴られる」という理不尽を経験し、また私も割と50番前後にずっと入っていたものだから受験戦争に順応しすぎて性格が歪み切って、いまでは文春に連載をするほどの人間になってしまったのは悲しいことです。