「就職を考えたらやっぱり東大」

京都大入学辞退者の進学先は東京大81.1%、早稲田大3.5%、慶應義塾大2.3%、東京工業大1.8%、上智大0.7%となっている。一方、東京大入学辞退者の進学先では京都大63.6%である(代々木ゼミナール調べ)。

林哲夫『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』(光文社新書)
林哲夫『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』(光文社新書)

京都大から私立大学に流れたケースでは、関東の受験生が早稲田の政経、慶應の医、上智の外国語などそれぞれの看板学部へ進んでいる。大阪星光学院の男子はダブル合格して東京大を選んだ。「親に説得されたんですよ。ボクは京大の方が良かったんだけど、就職のことを考えたら、やっぱり東大だといわれちゃって」(『週刊現代』87年4月9日号)。

これが心変わりというものなのだろう。農学部と理科二類に合格した女子(滋賀・膳所)は東京大に目もくれなかった。「ずっと京大にあこがれていた。未練は全然‼ 親はすこし東大を考えてみたらと言っていたけど。食料品関係の企業の研究室に入りたい」(『サンデー毎日』88年4月17日号)。

上位5校を初めて私立が独占する。また、上位30校のうち関東の開成、東京学芸大学附属、千葉、桐蔭とういん学園、麻布、浦和、筑波大学附属駒場はいずれも合格者が増えた。前年、ダブル合格を果たした先輩を見ならったと学校は見ている。定員179人オーバーになった。

◆入学定員2781人/志願者1万1822人/合格者4044人/入学者2960人(女子361人)

「多くの問題」によりほぼ廃止に

【1989年】

東京大とのダブル受験は多くの学部でできなくなった。

1987、88年の「A・B日程の連続方式」は京都大の学校史にこう記されている。「この方式での合格者決定にもなお多くの問題が含まれていたため、平成元(1989)年にはB日程で第2次試験を実施した法学部を除いて、他の学部は分離・分割方式に踏みきった」(『京都大学百年史』98年)。「多くの問題」=入学辞退者への対応に懲りたのだろう。東京大と併願されれば混乱するだけだと。そこで、また新しい入試方式を採用することになった。

【図表6】1989年の京都大学合格者別高校ランキング
1989年の京都大学合格者別高校ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)

分離・分割方式は入試を前期・後期に分け、前期で入学手続きをすれば後期の受験資格を失うことになった。「A・B日程の連続方式」と併存しており、前期とB日程の併願はできるが、前期合格で入学手続きをとればB日程は受験できない。わかりやすくいえば、ダブル受験しても京都大前期の合格者はそこで京都大を選ぶか、入学資格を放棄して東京大にチャレンジするかの選択が迫られる。

入試の多様化というよりも複雑化である。短期間でコロコロ変わる受験方式は「ネコの目」と高校、受験生から評判が悪かった。農学部合格の男子(大阪・高津)はこう話す。「僕らにとってみれば入試制度をいじくりまわされるのは迷惑だし。大学側も何の為に入試制度を変えるのか、わかっていないんじゃないか」(京大学生新聞89年3月20日〈京都大学新聞とは別組織で、当時の統一教会系〉)。