合格者の半数以上が浪人生
【1985年】
浪人は全9学部で過半数を超えており、医学部では7割以上を占めている。女子は法学部で29人増の49人となった。智辯学園和歌山が前年比5人増で6人合格した。
「和歌山県当局の強い要請と藤田照清大僧正の私学教育に懸ける熱意とが醸成し、昭和53年4月に開校しました」(同校ウェブサイト)。
和歌山在住者が奈良の智辯学園中学校・高校に少なからず通っていたため、和歌山県知事が県内開校に向けて「強い要請」をしたことから、智辯学園和歌山はスタートした。同校の指導は熱心で、年間の授業日数は約250日(文部科学省調査によれば全日制高校の約9割が190〜209日)、コースによっては公立学校の1.5倍の授業時間がある。
「夏休みは、中学は8月中の約3週間、高校は8月中の約2週間です。冬休みは、中学高校とも年末年始の約10日間です」(同校ウェブサイト)となっており、夏冬の休業期間はかなり短く、その分、進路指導にあてている。
「東大・京大ダブル受験」の時代が到来
【1986年】
京都大アメリカンフットボール部「京大ギャングスターズ」が日本大に、そして社会人のレナウンにも勝って2回目のアメフト日本一となる。このときチームの主将をつとめた農学部4年の泉信爾氏はこう話す。
「よく『なんでこんなに強いのですか』と聞かれるんですが、アメリカンフットボールという競技自体が体力のほかに頭脳が要求されるからです。体力が他より劣っている分、頭脳で勝負しようと」(『螢雪時代』85年8月号)。泉氏は都立西高校出身で大学卒業後、三和銀行に進んだ。1980年代半ばは京大ギャングスターズの黄金時代で東海辰弥氏、屋敷利紀氏(いずれも富山・高岡)などのスターが生まれた。四天王寺から初めて合格者を出した。
【1987年】
京都大と東京大のダブル受験を可能にする制度が導入される。この年から国立大学受験の機会を複数化するため、二次試験をA日程(3月1日〜)とB日程(3月5日〜)に分けて行う「連続方式」を実施した。京都大はA日程をとる(法学部のみAB両日程)。ところが東京大がB日程だったため、京都大、東京大の併願が可能となり、両校を受験する者が進学校中心に相次いだ。