“ダブル合格者”の数は1512人に

京都大、東京大は合格者をどれほど確保できるか、つまり定員に対する歩留まりが読めないため、定員よりも多めの合格者を出した。京都大は募集定員2716人のところ、合格者4140人とした。52.6%の水増しである。このうち50%を超えた学部は次のとおり(合格者、カッコ内は定員)。文350人(220人)、経済444人(240人)、理291人(4人)、工1501人(995人)、薬120人(80人)だった。工学部電気系学科の合格者数は定員の2倍となった。

【図表4】1987年の京都大学合格者別高校ランキング
1987年の京都大学合格者別高校ランキング(出所=『京大合格高校盛衰史 天才たちは「西」を目指した』)

京都大入学者は欠員8人と帳尻を合わせた。神がかり、奇跡的と言われたが、京都大は半年以上前から、東京大とダブル合格した場合の入学先について関西の予備校や進学校から情報を集めていた。これらを分析して水増し率30〜40%を予定していた。しかし、共通一次後東京大と情報交換したところ、想定以上に東京大に流れることがわかり50%に修正している。京都大は合格者1432人を失った。

『サンデー毎日』調査によれば、京都大合格者のうち東京大に合格した者が1512人にのぼった。理学部では合格者465人のうち東京大合格者が318人で68.4%と群を抜いて高かった。京都大理学部入学者は230人だったので、それよりも多い235人が辞退したことになる。彼らが東京大や国立大学医学部に進んだことは容易に想像できる。

この結果に京都大理学部長はこう話した。「ジャイアンツが強かった、タイガースの負けです」(『週刊朝日』87年4月10日号)。

京大を第一志望に選んだ人も東大に進んだ

なぜ、京都大は負けたのか。

予備校の関西文理学院進学教育センター部長が、「心変わりが起きたのでないか」と受験生心理からこう考察する。「ダブル合格してしまうと、親とか親戚がいろいろ言うでしょ。『せっかく東大受かったんだから』とか。そういう雑音を聞いていると、本人だってちょっと考えますからね。そうなれば初心と違った判断を下す生徒がいたっておかしくないわけで。(略)東大中心の学歴主義はまだまだ根強いですから」(『サンデー毎日』87年4月12日号)。

京都大が第1志望だった者が東京大に進んだ。こうした要因によって東京大は定員より228人多く受け入れることになった。京都大の教員は危機感を抱いたようだ。数学者で教養部教授の森つよし氏が解説する。

「トップクラスが東大にとられたと頭をかかえている人もおるし、将来後継者のとき養成で困るでと心配する先生もおるけど、なあに学部のうちは東大さんに預かってもろうて大学院になったらこっちに来てもらおやんて悠長に期待しとる人もおるよ」(『朝日ジャーナル』87年4月17日号)。