母親は父親と喧嘩した後など、精神的に不安定になると、不機嫌を撒き散らし、「あんたなんか本当は産みたくなかったんだ!」「みったくない子(北海度弁で可愛くない)!」「お母さんの言う通りに生きていたら間違いないの!」などと、自己肯定感をそぐような言葉や態度を延々と続ける。だからだろうか。田中さんが小学校5~6年生のときの担任の教師は、三者面談のとき、学校での田中さんの良いところを数え切れないほど母親に挙げてくれた。
にもかかわらず母親は、「うちではわがままで手の付けられない子です。お兄ちゃんのほうが良い子です」と即答。驚いた担任は、「娘さんはとっても良い子で、優しい子ですよ。もっと褒めてあげてください」と言ってくれた。しかし母親は、学校を出た後からみるみる機嫌が悪くなり、家に着くなり担任の悪口を言い始め、田中さんが話しかけても無視。夜になって父親が帰宅すると、「あの先生、私のことを馬鹿にしてるわ!」と憤慨し、あることないこと父親に吹き込む母親の声が聞こえてきた。
「おそらく、母のプライドが傷つけられたのでしょう。当時母は周囲に、私が不良でわがままな娘で、自分はそれに疲れている……というようなことを吹聴して回っているのを何度も聞いたことがあります」
私の現在小6の娘は、生まれたときは未熟児で、その後もずっと成長曲線のギリギリ範囲外を低空飛行し続けていた。母乳を卒業後も少食で食べるのが遅く、ガリガリで背の順はいつも一番前。だが最近急によく食べるようになり、身長がぐんと伸び、嬉しく思っている。
母親なら、娘が褒められることや、成長していく姿を喜ばしく感じるはずだと思うのだが、不思議なことに、私はこれまで多くの毒母を持つ娘に取材してきたが、娘が褒められることや成長することを喜ばない毒母は少なくない。その理由を私は、意識的か否かにかかわらず、娘をライバル視しているからではないかと考えている。自分は衰えていく一方なのに、活き活きと成長していく娘を目の当たりにして、面白くないのではないだろうか。そう考えると、担任の先生に褒められているのに喜ばないばかりか、不機嫌になる田中さんの母親の心理も説明できる。
母親の発病
田中さんが高校2年生の秋のこと。父親の会社の経理を任されていた母親が、いつものようにそろばんをはじいていると、時折「手に力が入らない」と言うようになり、ボールペンを持つ手も震えることから、父親は脳の疾患を疑う。
病院へ連れて行くと、母親は若年性パーキンソン病と診断される。パーキンソン病とは、振戦(ふるえ)、動作緩慢、筋強剛(筋固縮)、姿勢保持障害(転びやすいこと)を主な運動症状とする病気で、50歳以上で起こることが多い病気だ。まれに40歳以下で起こる場合もあり、若年性パーキンソン病と呼ぶ。母親はまだ50歳になったばかりだったので、“若年性”と診断されたのだろう。
父親は帰宅するなり、「お前がお母さんの面倒を見るんだよ」と、田中さんに言った。言われた瞬間、田中さんは目の前が真っ暗になった。