スペシャリストかゼネラリストか

曙ブレーキ工業→チーム力に目覚める「社内スクール」

入社2年目、曙ブレーキ工業・機構設計部の技術者だった高宮英樹のモチベーションは最悪だった。自動車部に所属した学生時代の経験から、「クルマはブレーキだ」と知っていた。これまでにないブレーキを作りたいと、意気込んで入社した。しかしコストの問題などから、思いのほか設計の自由度は低い。呆然としていた。

曙ブレーキ工業イギリス現地法人のセールスディレクター・高宮英樹さん。

ある日、高宮は上司から呼び出される。そこで、思いもよらない言葉を投げかけられた。

「高宮さんは、スペシャリストになりたいの? それともゼネラリストになりたいの?」

高宮は、こう答えた。

「スペシャリストになろうと思って入社しましたが、今はゼネラリストを目指そうと思っています」

当時はゼネラリストの意味すら満足に理解していなかったが、咄嗟に言葉が出た。だが、その言葉が上司の背中を押したらしい。26歳のとき、高宮は米ミシガン州にある自動車専門の研究機関に留学することになる。

2年間の研修を終えると、そのまま駐在員として残った。途中職種を変えながら、10年間を米国で過ごし、36歳で帰国。トヨタ自動車を担当する自動車営業第1部第1チームの課長に転じる。

初めての営業職に奔走していたある日、上司に別室へ呼び出される。「選ばれたぞ」と告げられた。幹部社員向けの研修メニュー「曙ビジネススクールシニアコース」への参加が決まったのだった。

1999年に設置されたこのスクールは、部課長層を対象に、9カ月を1期として行われている。各期の参加者は18名前後。これまでに8期を終え、全従業員6984名のうち、約2%にあたる152名が受講した。現在も第9期が進行中だ。(※雑誌掲載当時)

次期経営層の早期育成を目的に掲げ、内容には2つの柱がある。第1は、役員や外部の有識者の講話など過去の事例から学ぶ座学。第2は、参加者を3分割して取り組むグループ作業だ。スクールの後半は、もっぱらこの作業にあてられる。

スクールの事務局を務め、自身も5期生として受講した人事部人財開発課シニア・スペシャリストの矢島厚子は言う。

曙ブレーキ工業人財開発課シニア・スペシャリストの矢島厚子さん。

「経営層に近い者は、スキルやノウハウについては自ら学習しています。それよりも、様々な職場から集まる者がお互いに学び合うことを軸にしています」

高宮が参加した第6期は、2006年夏から始まった。毎月1回、生産、開発、営業、管理など、様々な部署から精鋭が集まる。最年長は55歳。37歳の高宮は最年少だったが、技術畑から海外駐在、営業までを渡り歩いた経験があるからか、グループ討議に入ると、誰に言われるまでもなく議論の調整役を務めるようになった。その中で、改めて気づかされたことがあったという。

「参加者それぞれに得意分野がありますが、1人だけでは仕事はできない。チームになり組織になることで、個人の能力を超えたものが発揮できる。組織で仕事するのは強いということです」

逆に言えば、無闇に職種やラインをまたぐようなことがあれば、組織は本来の力を発揮できないだろう。自分に期待されている役割とはいったい何なのか。普段の仕事では、どうしても日々の業務に流されてしまい、学びや気づきは生まれにくい。個性溢れる参加者と未知なる課題に向き合うことで、そうした自覚が自ずと深まっていった。

このグループ討議では、最終的に、現在直面している経営課題への提言を行う。シミュレーションではない。役員を前に発表する真剣勝負であり、提言を実行に移す責務さえ伴う。経営者としての高い視点で物事を見なければ、実のある発表にはならない。

今、高宮の肩書は、アケボノ・アドバンスド・エンジニアリングのセールスディレクター。技術者を志したクルマ好きの青年は、営業責任者としてイギリスの現地法人を率いている。

「経営方針や職掌といった軸は大事ですが、そこで終わってはいけない。個人の独創性やアイデンティティを潰さないことが重要だと思います。僕自身、『そんなの無理だぞ』と言われたことは一度もありませんでした。すごく感謝しています」