定年退職後はどのようなライフプランを立てればいいのだろうか。おじさん専門のキャリアコンサルタントの金澤美冬さんは50~60代の男性が定年前に準備したり、定年後にセカンドキャリアをスタートしたりするのをサポートしている。定年退職2年前より準備をし、定年後1年半で仕事につながった現在62歳男性の事例を紹介しよう――。

※本稿は、金澤美冬『おじさんの定年前の準備、定年後のスタート 今こそプロティアン・ライフキャリア実践!』(総合法令出版)の一部を再編集したものです。

腕時計の時間を調整するビジネスマン
写真=iStock.com/Yurii Kifor
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定年退職2年前より準備、定年後1年半で仕事ゲット

三井宏文さん(62歳/定年から2年経過)
1959年大分県生まれ。京都の大学卒業後、大手損害保険会社に就職。途中、関連会社に出向・転籍するも、基本的には損保営業一筋。その間は仙台、静岡、東京、大阪、名古屋、福岡とたびたび転勤。定年退職する2年ほど前より、セカンドキャリアの方向性を考え始める。紆余うよ曲折の末、現在は個人事業主として人材紹介業、おじさん向けセミナー講師、結婚相談業などを行っている。

継続雇用をきっぱり捨てセカンドキャリア形成の実践へ

――定年退職後のセカンドキャリアを意識され始めたのはいつ頃だったのですか?

【三井】会社の定年は60歳なのですが、57歳のときに方向性を定めなくちゃいけないなと思いました。今思うと遅いですけど、それまでは「60歳がゴールだ」と思っているだけでした。もちろん、当初は継続雇用も視野に入れていたのですが、人事に聞いてみると「それはないだろう」という雇用条件でした。「継続雇用の間、副業をして新しいことにチャレンジしたい」と考えていましたが、人事部からの回答は「副業はいっさい認めない」と。しかも、継続雇用後は研修も必須ではなく、評価制度もない。さらに、報酬も下がると。

会社によっても条件は異なるとは思いますし、継続雇用を選択する人を否定するわけではありません。ちゃんと中身を理解して自分に合うのであれば、そういう選択も当然あると思います。

しかし、私の知る限り「ただ何となく継続雇用を選ぶ」というケースが多いように思います。ということは「別に評価されなくてもいいや」という人だけが残っていくわけですね。これは企業にとっても良くないことですし、私自身もそういう環境に身を置くのはイヤだなと思いました。こんなやりとりをしているとき、私は大阪に単身赴任で行っていたのですが、黙っていれば同じポジションのまま60歳まで過ごすこともできました。

しかし、様々な現実を知るうちに「まず東京に戻ろう」と思いました。人事に「東京に戻りたい」という話をしたら「降格になりますけど、良いですか?」と言われました。「全然問題ないです! 降格してください」と言って、念願叶って東京に戻りました。東京に戻ってからは「定年」「専業主夫」関連の本を60冊くらい読みました。

それらの中には「マイカーを手放そう」「年賀状もやめよう」という、社会を狭めていくことをすすめる本もありましたが、これは収入の問題を解消するためのもの。定年退職後は収入が減ることが普通ですから、「今までと同じ生活じゃダメよ」というもので参考にはなりましたが、直接的な定年後のプランのイメージは湧きませんでした。

そんな中『あゝ定年かぁ・クライシス』原沢修一(ボイジャー)という本に出会いました(第1章参照)。この本は定年前に思い描いていたことと、定年後のギャップを綴ったもので興味深く読みました。著者の原沢さんは58歳で早期退職され、キャリアコンサルタントの資格を取られたそうです。

この本を読むまでは、キャリアコンサルタントの中身もよく分からなく、そんな資格があることも知りませんでした。それで、まず私も真似をしてキャリアコンサルタントの資格を取ってみたのですが、この資格を持って定年後の就職活動をしてもうまくいきませんでした。何十社あるいは大学のキャリアセンターなどを受けても、年齢を理由に書類だけで「ごめんなさい」と断られるんです。

正直辛いものがありましたが、「会社には残らない!」という宣言をした以上、後戻りはできません。「もし仕事が見つからなければ、派遣でもパートでもバイトでも良い」と、そういった求人に応募することもありました。

ただ、それでもまだ救いだったのは「まとまった退職金がもらえる」「住宅ローンもそろそろ終わる」の二つです。それから、自分で積み立てた個人年金もありました。金銭的にすぐに仕事をしなくても良かったのは、長年サラリーマンをやってきたおかげです。ですので、もちろん会社に感謝もしていますし、それまでの自分の経験も良いことだったと自負しています。でも、それはそれ。「定年はゴールではなくスタートである」ということを、書類で落とされるたびに痛感する次第でした。