「勤労が人間のいちばん大事なこと」という洗脳

若宮さんは、75歳からアプリのプログラミングの勉強を始めたそうです。

本書の第3章で「80の手習い」について書きますが、ゼロからの出発よりは、60代から興味のあることに取り組みながら、時間のできた70代で探求し、80代で花開くというコースは理想的だと考えます。

60代からは、家族や仕事のしがらみから徐々に自由になれます。再雇用で働いていても、現役時代よりは時間ができるでしょう。

私たちは「勤労が人間のいちばん大事なこと」と洗脳されていますから、働かないことに罪悪感を持ちやすいものです。ですが、70代ともなれば、あまり働かなくても世間も何も言いません。

それぞれの経済に合わせて、自分らしく生活していけばいいのです。

では、若宮正子さんみたいになるには、どうすればいいのでしょうか。

それは、やはり好奇心を絶やさないことが大事なのだと思います。

日本人は謙虚なところがあります。

「老いては子に従え」なんて言葉を信じている人もまだいるのかもしれません。「私なんか歳だから」「私の出る幕ではない」と遠慮しているほうが大人に見える、と思い違いをしている人もいるかもしれません。

それらは間違いです。働き盛り、子育て期間に封印していた好奇心ややりたいことを解き放ってあげるのが60歳なのです。そうして花開くのが80歳代。

若宮正子さんの「TED×Tokyo」でのスピーチをユーチューブで見ました。その中に「私は明日死ぬとしても木に水をあげているだろう」という言葉がありました。

若宮さんの好奇心の枝は、パソコンだけではなく、ピアノや英語などたくさんの興味が木のようになって育っていくイメージです。自分の大事な好奇心の木に水やりを怠らない。「もう歳だから」「いまから始めても」とは言わない。

あなたも「どうせ歳だし、どうせ死ぬのだから、静かに散っていこう」と思わず、守りに入らないで明るく派手に生きていってほしいです。

100歳になるような人たちは、楽しんで生活をしています。その共通点は、やりたいことをやっている、です。

「石磨き」によって美しいものを発見した老人

「さびしいです。仲のよい友達がいなくなりました」

そう話す患者さんは多くいます。90歳を過ぎると、今まで仲がよかった人、行き来が頻繁にあった人、電話で長電話していた人が倒れたり、亡くなったりしてしまうことが多くなります。自分だけが取り残されて、さびしいとうつの症状が表れる方もいます。

心情はとても理解できますが、冷静に考えてみましょう。客観的に見て80代ともなれば病気などで亡くなるのは当たり前なことです。友人が生き切ったことを寿ことほぐのであって、クヨクヨしていても仕方ありません。歳をとるというのはそういうものです。

0歳でも10代でもなくなってしまう人もいます。90過ぎまで生きた人は、命をたまわっていると思って大事に生きてほしいと思います。

臨床心理学者の故河合隼雄先生の『大人の友情』(朝日新聞社)にこんな話がありました。

妻を亡くした夫が落ち込んでいるので、子どもたちが引き取ろうとするが老人は拒否します。子どもたちは心配して見守りますが、老人はふとしたことから「石磨き」を始めたそうです。石を磨いて立派な宝石のような飾り物にする。それを人にあげたりして元気になっていくというものでした。

石磨きなんて孤独な作業のように見えますが、老人は石を磨きながら妻との楽しい思い出を頭に浮かべていたのかもしれません。人間はただ考えていると悲観的になりやすいのです。

身体を動かす、手を動かすと、なぜか前向きになっていきます。精神の不思議な作用ではありますが、老人は手を動かしたことによって美しいものを発見しました。

丸い石を手に持つ老人
写真=iStock.com/Ocskaymark
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