“学歴エリート”だからこその、学歴へのこだわりのなさ

しかしよく考えれば、こうした選択を後押しされたであろう雅子さまの子育ては、“学歴エリート”であるからこそのものだろう。

ご自身がお持ちの、ハーバード大学卒や東大法学部学士入学といった学歴は、キャリア官僚になる際に光り輝くものである。受け継ぐべき家業のない中産階級(というにはあまりに上流階級ではあるが)の女性が、身を立てていく際の武器となるものである。もっとうがった言い方をすれば、外務官僚という父親の「家業」を受け継ぐための「資格」であったと考えることすらできる。

天皇家の長女に生まれた愛子さまは、もはやなんの資格もいらないのである。雅子さまは、学歴がどのように機能するのかを知っているからこそ、愛子さまには、人材市場で戦い勝ち抜くために求められるような学歴は、必要がないと判断されたのだろう。

天皇家の祖先がどのように「源氏物語」に描かれているのかを知ることの方が、愛子さまにはプラスになるかもしれない。中世の日本文学という学問が、これほど自身とつながりが深い人は、愛子さま以外になかなかいないだろう。

自分たちのいまいる場所が、どのような歴史のうえに成り立っているのかを考えること――天皇家に生まれた愛子さまにとっては、日本の文学や歴史を学ぶこと以上の学問のメリットはないだろう。そういう意味でも、学習院大学はふさわしい大学だといえるだろう。

一方、ずっと学習院で過ごされ、大学院まで学習院だった紀子さまは、むしろ純粋にわが子のために、さらなる高みを目指されているように見える。就労経験もない紀子さまにとっては、皆に尊敬してもらえるような学歴をつけていくことが、悠仁さまにとって重要だと感じられているのではないだろうか。

道いっぱいに並ぶ卒業生たち
写真=iStock.com/Rattankun Thongbun
※写真はイメージです

学歴競争に参加する必要があるのか

しかし繰り返すが、学歴が「武器」となるのは、家業をもたない庶民、一般の国民である。

日本はまだ、メリトクラシー(能力主義)の神話が信じられている。「どのような階層に生まれても、実力こそが、その後の地位を決める」というものだ。実際には、生まれた家の経済格差によって、ある程度のコースは敷かれているうえに、よい学歴がよい就職や高い収入につながるという保証もなくなっているが、「良い大学に行くことで、良い就職が可能になる」という学歴信仰はまだまだ根強い。

教育社会学者から見ると、悠仁さまがこうした競争に参加する必要は何もない。むしろ、恵まれた環境や資源を活用して、競争に強いとされる高い学歴を追い求めることは、国民から反感を招いてしまうことになるのではないか。

国民が悠仁さまに願っているのは、在学中に、若いうちにしかできない経験をしていただくことなのではないだろうか。のびのびと充実した青春を謳歌おうかする悠仁さまの笑顔があればじゅうぶんである。

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