日本人はある意味、不幸かもしれない

私が米国に留学していた1956年、ハンガリー動乱が起きました。しばらくすると私がいた大学や、暮らしていた町にハンガリー人が移り住んできました。米国というのは、世界の政治変動や紛争を身のまわりの出来事として意識させる国です。

日本にいると、残念ながら世界の動きを現実のものとして感じる機会はきわめて少ないのです。ここ20、30年でかろうじて日本の若者が現実感を伴って世界に関心を持ち得たのは、カンボジア難民と天安門事件ぐらいではなかったでしょうか。

国際問題だけでなく、国内問題でも同様です。日本のように国内の貧富の格差や人種問題が少ない国は、例外的と言っていいのです。もちろん、貧富の格差や人種問題などは少ない方がいいのですが、社会的、政治的問題意識が育ちにくいという意味では不幸なことだといえましょう。とすると、日本人は意識的に世界各地にある厳しい状況に関心を寄せ、身を置く努力をしなければならないのではないでしょうか。

日本の外交官はどうにも決断が遅い

上智大学で教えていた1980年ごろ、当時のヨゼフ・ピタウ学長は、学生をカンボジア難民キャンプでの支援活動に行かせました。「奉仕の結果、カンボジア難民には得るものがないかもしれないが、学生が得るものははかり知れない」とおっしゃっていました。大学は、この活動に単位を与えました。その後、学生の一部にフィリピンのスラムで活動するグループが生まれたりしました。こうした取り組みを、教育現場が積極的に仕掛けていかないと、放っておいてはチャンスは巡ってこないのです。

21年前(1976年)に私が日本政府の国連代表部公使として初めて外交の世界に接したころと比べて、国際社会で仕事をしている日本の外交官や国際機関職員は積極的になってきたと感じます。

かつて日本外交官は「スマイリング(薄笑い)、スリーピング(居眠り)、サイレント(発言しない)」の3Sなどと言われていました。しかし、スリーピングは世界共通としても、はっきりと意見を言わずにあいまいにニコニコしているだけの日本の外交官は今や見かけなくなりました。ただ、決断が遅い、という傾向は今も変わらないように見えます。国際会議などで日本の外交官は、他国がどうするかを調べるのが先、という訓練を受けているようです。