万博は「一時の経済対策」と同じなのだろうか

2025年に大阪で予定されている日本国際博覧会(大阪・関西万博)。物価上昇のあおりで建設費が最大2350億円も増額することになり、批判の声が上がっている。

建設中の大阪万博会場(2023年10月12日、政府主催の上空視察にて)
写真=AFP/時事通信フォト
建設中の大阪万博会場(2023年10月12日、政府主催の上空視察にて)

「国民に負担をより強いてまで、開催にこだわるのはなぜなのか」(朝日新聞)、「大阪万博、中止でええやん」(東京新聞)といった声すらあがる。さらにパビリオンなどの工事の遅れが深刻化しており、「やりたくても間に合わないのではないか」と危惧する声も聞かれる。いったい万博はどうなるのか、そして万博は日本に何をもたらすことになるのだろうか。

想定来場者数2820万人、経済波及効果は2兆円――。大阪湾にある夢洲ゆめしまで2025年4月13日から10月13日まで開かれる大阪2度目の万博は、その経済効果が繰り返し強調されている。逆に開催に疑問符を投げかける向きは、経済効果は見込めないとか、税金をムダに投じるだけだと言う。いずれも損得勘定が先に立っているわけだ。万博は一時の経済対策と同じなのだろうか。

万博誘致の影の立役者は作家の故・堺屋太一氏

2025年の大阪・関西万博誘致の影の立役者は、作家の故・堺屋太一氏である。1970年の大阪万博をプロデュースし、成功に導いたことで知られるが、その堺屋氏がもう一度、大阪で万博を開くことを強く主張した。

誘致構想は2014年に大阪維新の会が打ち出した。堺屋氏は大阪府や大阪市を牛耳る「大阪維新の会」のブレーンとして、橋下徹氏や松井一郎氏らに大きな影響を与えた。一方で、安倍晋三政権の内閣官房参与として、安倍首相のブレーンも務めた。大阪と国の両方に影響力を持っていたのだ。当然、万博誘致に国を動かす役回りも担った。

ではなぜ、堺屋氏は1970年に続いて再度、万博を誘致することにこだわったのだろうか。決して短期的な経済効果を狙っていたわけではない。

堺屋氏は万博開催を見ることなく2019年2月17日に亡くなった。それを悼んで婦人画報が直後に、2017年4月号に載った堺屋氏の記事をネット上に再掲載した。題して「大阪よ、再び日本の中心たれ」というものだ。

その記事の中で堺屋は1970年の万博についてこう述べている。

「大阪(万博)のコンセプトは『規格大量生産型の近代社会』でした。だからあの万国博の時から自動車やカラーテレビを世界に輸出して、日本は大発展しました」