パレスチナ・ガザ地区、ウクライナなど世界各地で多くの無辜の一般市民が命を落としている。戦場カメラマンの渡部陽一さんは「自由を奪われた戦場の現場で、日本に向けて『知ってほしい』と呼びかけている人がいることを、僕は写真を通じて伝えていきたい」という――。

※本稿は、渡部陽一『晴れ、そしてミサイル』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

戦闘で屋根がなくなった建物跡に立っている戦場カメラマン
写真=iStock.com/South_agency
※写真はイメージです

「選べる幸せ」があること。これが平和の条件

ここでは、あらためて「平和」について考えてみたいと思います。

平和とは、いったいどのような状況なのでしょうか。そして、平和のために、僕たちができることはあるのでしょうか。

戦場や紛争地帯で出会った方たちに、僕がよく聞く質問があります。

「幸せとは何でしょうか?」

すると多くの方から、「やりたいことを自由に選べること」という答えが返ってきます。

つまり、戦場ではやりたいことを自由に選べないのです。やりたいことといっても、日本で暮らしていれば当たり前に、したいと思ったらできることばかり。好きな食べ物を食べる。家族で一緒に暮らす。学校に行く。休日に遊びに行く。その程度の選択の自由がない。

独裁者がいたり、攻撃を受けて住む家を失ってしまったり、家族や子どもたちの命まですべて奪われてしまったり。自分の判断で「こうしたい」と思うことができない。それが平和を失った国の実情です。

平和とは、やりたいことを自由にやれること。人がそれぞれ自由に選ぶことができる「選択肢」があることです。明日にも爆弾が落ちるかもしれない。軍隊に召集され、避難を強いられ、家族みんなで暮らせない。だから、したい暮らしができない。そういった不自由さは、今の日本にはひとまずありません。その意味で日本は、平和に近い国といえるでしょう。

世界の選挙を見ていても、国民がリーダーを選ぶ大事な基準のひとつに、一般の市民が「自由な暮らし」を送れると思うかどうかがあります。

ウクライナもそうでした。ヨーロッパにおけるもっとも貧しいグループに属していたウクライナは、それまでの政府の汚職体質、私腹を肥やすばかりで国民が自由に暮らせるような政治をやろうとしないトップたちに嫌悪感を抱き、2019年の大統領選挙に出馬したゼレンスキー氏を大統領に選んだのです。

低所得や不十分な社会保障で苦しんでいたウクライナ国民が、ロシアとの関係が深い指導者や、裏でロシアとつながっていることが疑われている指導者ではなく、政治経験がない元コメディアンを選んだ。これはウクライナ国民の、自由で豊かな暮らしへの渇望とも見えました。

結果として戦争に突入し、ウクライナ国民の自由はますます奪われているとも言えますが、国民の士気は高い。それはロシアに抗い戦うことが、自国を守るだけではなく「自由と民主主義陣営の防壁」といった意味合いを持つからでしょう。

貧しさから脱却し、自由を求める国の人々。そこに「自由は認めない」として戦いを挑む、強権体制や過激派組織。自由を求めて戦い、戦いが自由を奪っていく。歴史のゆりかごの中で繰り返されてきたことです。

選べる選択肢が少ない、禁止されていることがあまりに多いのは危険です。極端な攻撃や奪い合いにつながりかねません。たくさんの選択肢があると地に足をつけて、肩の力を抜いて、どれを選ぶべきか冷静に判断できる。そうした中であれば争いを回避することもできるはず。

日本では当たり前のようにある「選べる幸せ」。これがあることが、平和のひとつの姿であると言えるでしょう。