日本の暮らしにある、世界とつながるきっかけ

今の日本にも、貧しく、孤立してしまう人たちがいます。ひょっとしたら「日本に住んでいても、選べる幸せはない」「日雇いのバイトしか仕事がなくて、友達もいない。やりたいことがあっても、お金がなくてできない」などと苦しく感じている人もいるかもしれません。

戦場から日本に帰ってくると、日本の暮らしの中には世界とつながるきっかけや入り口がたくさんあると感じます。自分にはできないと思っていても、ちょっとだけ見方を変えて世界を知り、ちょっとした行動を起こせば世界とつながることができる。

本を読むことでも、好きなマンガや映画について究めてみることでも、友達に会いにいくことでもいい。一歩踏み出してみると、新たな感覚を得ることができます。そして思いもよらなかったことに、気づくことがあります。

そのことが僕たちの可能性を広げてくれる。別の、新たな選択肢を自分にもたらしてくれることもあるはずです。小さな行動で、新しいチャンスを手に入れることもできるのです。

戦場には「私たち」を知ってほしい人たちがいる

僕は戦場取材に入るとき、現地の人々の生の声に耳を傾けながら、戦場に生きる人たちの普段の姿を撮りたいと考えています。戦火の中にも、胸が痛むようなつらい現実だけでなく、温かな人々の暮らしがあるからです。

そこに日本人の僕たちと変わらない素顔を見つけると、親近感を持って、世界の国々に生きる人たちを捉えることができます。

その一方で、戦場ではあまりに悲惨な光景に遭遇することもあります。思わずカメラを置いて、その場をそっと離れるしかない場面。多くは、子どもの命が奪われる瞬間です。

あるときは、こんなことがありました。

銃撃を受けた小さな子どもが、避難所の病院に運び込まれてきた。お医者さんたちによる必死の処置が施されており、子どもの両親はもう半狂乱状態になっている。こういうとき、僕は写真を撮ることはできません。

渡部陽一『晴れ、そしてミサイル』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
渡部陽一『晴れ、そしてミサイル』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

僕はカメラを置いて、病室を出ました。そして静かに待っていました。

すると、病室からお父さんが泣きながら飛び出してきて、僕の手を引っ張るのです。強い力で、僕を病室に引きずりこみ、必死で、今にも亡くなろうとしている我が子の写真を撮ってくれと言っている。

今、自分の子どもの命が奪われようとしている。そして、そのことが誰にも知られずに、まるでなかったことのようにされていく。自分たちの国には独裁者がいて、情報統制されているから、このことは国の外の人たちには報じられない。

だから撮ってくれ。今、起きていることを、外の人たちに知ってほしい。気づいてほしい。そしてどうか、攻撃している人たちを止めてくれるような動き、世界のうねりをつくり出してほしい。お父さんは、泣きながら僕に頼みました。