旅立った3歳男児に担当医の心が“青空”だったワケ

筋肉のがんで入院していた3歳の男の子とその両親だ。つらい抗がん剤治療を行っていたが効果が見られず、むしろ転移が広がっていた。原さんは両親に、非常に厳しい状況であること、このままでは余命数カ月だということ、新しい治療を行うが効果があるかどうかはわからないことを告げた。わが子と共に病と闘い抜く覚悟を決めてもらおうと思ったからだ。

しかし、両親の決断は「治療の中止」だった。助からないのならば、これ以上つらい思いをさせるのではなく、可能な限り一緒にいたい。そう希望したのだ。

両親は男の子を退院させると、さまざまなところへ遊びに連れて行った。遊園地、温泉……。関西から東京ディズニーランドへ泊まりがけで出かけることさえあった。

原さんが最も驚いたのは、定期的に外来へ診察を受けに来るその男の子の顔が、みるみる明るくなっていくことだった。楽しかったこと、楽しみにしていることを一生懸命、原さんに話してくれた。

3カ月後、男の子は旅立った。容体が悪化した最後の1週間は入院となったが、ずっと寄り添っていた両親は、落ち着いて彼の旅立ちを受け止めていた。

「息子の人生は短かったけれど、とてもよい人生を送ることができたと思います。最後の3カ月、息子はいつも笑顔でした」。両親はそう語った。

原さんは振り返る。

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「青空を見たような気持ちになりました。人は、幼くして逝った子供はかわいそうだと言います。確かにかわいそうです。でも、たとえ短くても、充実した日々を送ることができたのなら、それはそれでいい人生なのではないか……。私たち大人は、精一杯生きられるよう手伝うしかできない。そう教えてもらいました」

それまで原さんは、患者である子供の命を救えなかったとき「敗軍の将の心境だった」という。実際、患者の親から「医者なら治せ」「それでも医者か」などと恨み言を言われることもあった。原さんだけでなく、多くの小児科医がその苦しみを味わい続けていた。

命を救えなくても、諦めるのではない。よりよい生き方に寄り添えたら……。