当代一流の英国知識人たちを唸らせた先進性

『源氏物語』が広く国際的に評価が高まったのは、第一次世界大戦後のことで、発信地はイギリスであった。それ以前にも明治時代に一部イギリスで英訳されたが、あまり話題にならなかった。

渡部昇一『決定版・日本史[女性編]』(扶桑社新書)
渡部昇一『決定版・日本史[女性編]』(扶桑社新書)

第一次世界大戦後はワイマール文化などフランスでもアプレゲール(戦後派)の独特の文化が栄えた時期で、ロンドンではブルームズベリー地区にケインズやヴァージニア・ウルフといった当代一流の知識人たちが集まって住んでいた。彼らは自分たちこそが世界で一番洗練されて、現代的な感覚を持っていると自信満々だった。

当時のヨーロッパは、第一次世界大戦で伝統的な文化が破壊されて、ヴィクトリア朝的なうるさい男女関係の規範観念なども取り払われていた。ヴィクトリア朝では、とにかく「下着」という言葉も使えないぐらいセックスにかかわることには神経質だったので、そうした表現にはかなり苦心していたのである。

『源氏物語』の訳者は、裕福なユダヤ人のアーサー・ウェイリーという言葉の天才であった。その『源氏物語』の英訳を読んだブルームズベリー地区の人たちは驚愕きょうがくした。

なぜならば、自分たちが最先端だと自負していた生活感覚と同じような感覚の人たちの話が、千年以上も前の日本で描かれていたからである。

千年前の登場人物のほうがずっと洗練されていた

『源氏物語』の登場人物は、自分たちと同じような感覚を持ち、しかも自分たちよりも洗練されていることに、彼らは愕然がくぜんとした。当時はちょうどマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(1913~27年)が出たときで、これが現代文学の最高峰とされ、過去の小説の最高峰が『源氏物語』で、世界の二大小説だと称えられた時期もあった。その後、世界の五大小説など括り方はさまざまあるが、依然として『源氏物語』の評価は動かない。

加えて言うが、清少納言の『枕草子』もエッセイとしては極めて優れていると海外では高評価されていた。

私がドイツに留学した戦後10年目の1955年には、復興中のドイツでも割ときれいなポケット版『枕草子』のドイツ語訳がすでに出ていたほどである。清少納言もやはりたいしたものなのである。

拙著『日本史百人一首』で述べたように、この時代の我が国の文学水準は、それこそ19世紀から20世紀にかけてのフランスの象徴詩のもっとも洗練されたものさえをも凌駕りょうがしていたくらいだと思う。

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