多死社会における寺院と業者のせめぎ合い
今回の事件では、境内に造成された樹木葬霊園が舞台であった。樹木葬では旧来型のように、大きな石材は必要としない。そのため、伝統的な墓石の加工・設置・販売の枠から離れ、樹木葬墓地のプロデュースと造成、販売にシフトしていたと考えられる。この霊園でも、ステンドグラスをはめ込んだプレート型の墓石で付加価値を高め、顧客を獲得したいと考えたようだ。全400区画ほどを、78万円〜148万円(年間管理費1万2000円)で販売していた。
同寺にとって樹木葬霊園を整備するメリットは、新規顧客の獲得のほか、檀家の墓じまいの受け皿ができる点などがある。
こうしてみれば、寺と鵠祥堂は、ウィンウィンの関係性であったように思える。しかし、一部報道によれば「樹木葬は割高であまり売れていなかった」などと伝えられている。
仮に販売不振なのであれば、容疑者の思惑のようにむしろ広く無宗教式の募集にしたほうが、メリットが大きいように思える。しかし、民間業者による霊園の一体開発の場合、売り上げの大部分は業者がもっていき、寺にはあまり入らないことが多い。
したがって、寺側は無宗教で儀式に参画しない「会員」を広く集めるよりも、むしろ熱心な檀家を増やして、葬儀や法事の執行を増やしたいと、考えるのは自然といえるだろう。
寺院と周辺産業がコラボした霊園事業は、枚挙にいとまがないし、トラブルもかなり生じている。のような惨劇が別の寺で起きても、まったく不思議ではないような状況である。