気軽に口にできるよう冷凍カキフライを開発
いまではOEM(相手先ブランドによる生産)を中心に冷凍のカキフライで5~6%の国内シェアを握る一方で、殻付き冷凍カキグラタンを国内だけなくアジアや北米の諸外国向けにも年間300万個も製造するカン喜のルーツは、1973年に山口県徳山市(現・周南市)で創業した「八木水産」にさかのぼる。冷凍魚介類の輸出会社である太洋農水産(現・ノースイ)向けの冷凍食品加工を事業の柱に据えていた。
しかし、経営がなかなか軌道に乗らず、78年に冷凍食品工場の運営を太洋農水産に移管する。そして、81年に工場長として太洋農水産から転勤してきたのが、現社長の上坂陽太郎さんの父親である道麿さんだ。当時、瀬戸内海で獲れるトリ貝の冷凍加工がメーンだったが、次第にトリ貝の漁獲量が減ってきて、道麿さんが目を付けたのが広島県の特産品のカキだった。
「生ガキは高級食材であり、鮮度を維持するための流通コストがかさみ、値段がどうしても高くなってしまいます。そこで流通コストを抑えて、気軽にカキを食べてもらえるようにするため、82年から製造を始めたのが冷凍カキフライだったのです」と上坂社長は言う。
バブル経済全盛期に直面した人手不足の問題
それを機に八木水産と太洋農水産は、合弁会社「八木ノースイ」を設立し、出資者の1人であった道麿さんが社長に就任した。冷凍食品工場は八木ノースイに移されたのだが、バブル経済が全盛期に入った80年代後半になると、深刻な人手不足という問題に直面する。
「いまも本社工場がある周南市の戸田には、田畑が一面に広がっています。そうした土地柄を反映して、当時の従業員は農業を兼務する女性のパートタイマーが大半を占めていました。でも、米の収穫期になると休みがちになり、製造ラインの稼働率がダウンしてしまいます。そこで公共職業安定所(ハローワーク)で募集をかけたものの、より待遇のいい会社に人が流れてしまい、必要な人数をなかなか集められません。そうしたなかで、公共職業安定所から紹介されたのが、障がい者の方でした」