こんな事例がある。82年、ジョンソン・エンド・ジョンソンを襲った「タイレノール毒物混入事件」では、消費者に対する責任を第一優先に考え、積極的な情報開示を行い、直ちに全製品を回収した。この結果、同社はブランドイメージを毀損することなく、むしろ誠実性が認められてブランド価値を大いに上げた。このときの対応は、危機管理の模範として伝説となっている。

ジョンソン・エンド・ジョンソンには緊急対応マニュアルなどなかった。そのかわり、トップ以下、従業員全員が共有しているクレドがあった。田中氏は言う。

「かつてブランドは『世界の富裕層をいかに取り込むか』に焦点が当てられていましたが、いま、ブランドのテーマには“integrity”、すなわち『正直さ』『誠実さ』が大きく掲げられています。それがブランド・エクイティに直結するからです。食品偽装問題等で企業への信頼が揺らぐ中、ブランドと倫理観との関係性がいまほど厳しく問われる時代はないのではないでしょうか」

伝説のホテリエとの共同戦線を開始する

「91年の契約時、カラン・マス社とリッツ・カールトンの哲学は一致していました。そのときのリッツ・カールトンは信頼のおけるパートナーだった」

とスリアワン氏は言う。しかしマリオット傘下になり、リッツ・カールトンが世界各地に次々と生まれていく中、このような事件が起こったことで、リッツ・カールトンの信頼性は失われてしまったのではないだろうか。

リッツ・カールトンのブランドを手放すとはどういうことか、スリアワン氏は十分に理解している。リッツ・カールトンのブランドで、リッツ・カールトン・バリを選んでいた顧客は少なからず存在し、名前が外れれば彼らが離れる可能性が高いのも否めない。

「だからといって、信頼を裏切った相手とは、もう一緒に仕事はできない」

リッツ・カールトンとの契約を打ち切った後、スリアワン氏のもとには有名ラグジュアリーホテルを含むホテルカンパニーからの引き合いが集まった。しかし、スリアワン氏が自ら電話をかけてマネジメントを頼んだのは、ウエストペース・ホテル・グループのCEO。リッツ・カールトンの創業社長であり、伝説のホテリエ、ホルスト・シュルツ氏だった。

リッツ・カールトンのブランドを捨て、リッツ・カールトンの礎をつくった人物と手を組むというのは興味深いが、ふたりにはリッツ・カールトン・バリがオープンしたとき、ともにビジネスを行ってきた歴史がある。シュルツ氏は当時リッツ・カールトンの社長としてリッツ・カールトン・バリのマネジメントに深く関わっていたのだ。「なぜシュルツ氏を?」との筆者の問いに、スリアワン氏はこう答えた。

「ビジネスで一番大切なのは信頼関係だから。オリエンタルな考え方かもしれないが、儲かる、儲からないは二の次なのです」 

(西川みこ=編集協力 ライヴ・アート=図版作成)