ビジネスモデルの同質化

異なるビジネスモデルの下で、価格競争が行なわれていたことになる。しかし、この時代がずっと続いたというわけではない。やがて戦略を変更したのはアマゾンだった。アマゾンは、1998年ごろには自ら物流センターを配備し、在庫を抱える既存書店と近い形態をとるようになっていく。この背景には、取引数の増加に伴って在庫回転率が低下していったことや、競合であるバーンズ&ノーブルによる大規模な垂直統合の推進があった。

バーンズ&ノーブルは、1998年11月6日にアメリカ最大の書籍卸売業イングラム・ブック・グループを6億ドルで買収すると発表する。当時、アマゾンはイングラムから全体の約6割の書籍を卸していたが、この相手をバーンズ&ノーブルにとられてしまう危険が生じたわけだ。アマゾンは、この買収発表後に同社への依存率を引き下げるとともに、1ヶ月後の12月7日、ネバダ州にある配送センターをリースした。アマゾンは自らの物流センターを強化することを通じて、在庫回転率の向上と競合への対応を可能にしたのである。

この選択肢が積極的に意図したものであったか、それとも競合への対応に迫られてのことだったかははっきりしないが、少なくともこの選択は、在庫リスクを自らが引き受けるということを意味した。それは逆にいえば、在庫を持たないという強みを放棄するということだった。雑誌や新聞はアマゾン・ドット・コムは行き詰まったと記事を並べ、ドット・コム・バブル崩壊の象徴であるように見なした。確かに、収支をみても、累積赤字はどんどんと増えていた。

競争の中で、アマゾンとバーンズ&ノーブルのビジネスモデルは少しずつ同質化していったといえる。少なくとも、アマゾンの店舗や在庫を持たないという競争優位性は失われていた。とはいえ、興味深いのは、この時点でアマゾンはすでに在庫リスクに対応する新しい方策を手にし始めていたという点である。

実は、アマゾンは、依然として在庫コストに対応しつづけることができた。その源泉は、在庫を持たないという点にはもちろんない。そうではなく、その源泉は、必要な販売量を的確につかみ、仕入れた量を確実に売り切るという、CRMの仕組みへと移っていたのである。

1997年ごろ、アメリカの出版社は売上の低迷と殺到する返品に悩んでいたという。当時のアマゾンについて記述しているロバート・スペクターの『アマゾン・ドット・コム』が詳しい。平均として、出荷された書籍全体の約38%が売れ残りとして返品されてきたのである。これに対して、アマゾンからの返品率は4%を下回っていた。アマゾンでは、書籍販売がネット上を通じて行われ、すべてデータとして記録されている。アマゾンは、これら顧客の購買データをもとに優れた需要予測を可能にしていった。書店というよりもIT系企業としての強みがここに現れた。さらに、関連購買を促進させる仕組みもアマゾンでは構築されていく。仕入れた書籍を売り切る力が強くなっていくのである。

■『アマゾン・ドット・コム』
ロバート・スペクター/日経BP社/2000年 

 

『アマゾン・ドット・コム』には、ランダムハウス社のコメントが載せられていて印象的だ。

「アマゾンはどこにもないようなデータベースを築き上げている(アルベルト・ビターレ:ランダムハウス) Specter(2000)、邦訳266頁。」

「どこにもないようなデータベース」。今からみれば大したことはないのかもしれないが、それは実際にはどういうものであり、既存の出版業者の人々の目にはどう映ったのだろうか。