「ポジショニング」と「能力」

競争戦略論には、昔から大まかにいって2つの考え方がある。ひとつが「ポジショニング」、もうひとつが「能力」(capability)だ。いずれにせよ、競争戦略の本質は競合他社との「違い」をつくることに違いはないのだが、この2つでは想定している「違い」が違う(詳しくは拙書『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』をお読みください。宣伝恐縮)。

ポジショニングという考え方に立つ代表的な論者には、たとえば競争戦略論の大家として有名なマイケル・ポーターさんがいる。ポジショニングの戦略論は「トレードオフ」の論理を重視する。利用可能な資源は限られている。全部を同時に達成できるわけではない。だから何をやって、何をやらないかをはっきりと見極めることが大切になる。「これで勝つ」というのをあらかじめ決めておいて、そこに限られた資源を集中的に投入する。「どこで勝負するか」という位置取り(ポジショニング)が戦略の焦点になる。

オリンピックの例で考える。(世の中の注目度は別にして)純粋に金メダルを取ることが目的であれば、世界中から飛び切りの才能をもったアスリートがしのぎを削る100メートル走はあえて避けたほうがよさそうだ。オリンピック競技として由緒正しい近代五種に出たほうが金メダルがとりやすい(ような気がする。近代五種が何なのかもわからずに言っている推測だが、おそらく正しいと思う)。これがポジショニングの考え方だ。

ポジショニングがこのように「アウトサイドイン」の思考(まずはオリンピックのすべての競技種目を見渡して比較検討し、その上で勝てる種目を選択する)をとるのに対して、能力の戦略論は「インサイドアウト」(どの種目に出るのかは別にして、まずは自分の体を鍛える)の発想で違いをつくろうとする。たとえ競争が激しい100メートル走でも、他者よりも能力において優れていれば勝てるはずだ(というと当たり前に聞こえるが、ポジショニングという伝統的な発想ではそうならないことがポイント)。ポジショニングは二の次で、まず能力の開発を重視する。時間はかかるにしても、他者が簡単に真似できない能力を構築できれば、金メダルが取れる。戦略の焦点は、そうした独自の能力を構築していくプロセスの方にある(ま、論理を追い込んでいけば、ポジショニングと能力は実は裏腹の関係にあり、どっちがイイかという話にはならないのだが、その辺はややこしいのでここでは省略)。

ポジショニングはトレードオフの論理に立脚しているとすれば、能力の戦略論のカギは模倣の困難さ(inimitability)にある。要するにみんなが9秒99だとか、10秒フラットだとか言っているときに、「あーごめんごめん、俺9秒58だから。生きる伝説なんで。悪いね」とさらっと言ってしまえるウサイン・ボルトのような競争優位、これが能力の戦略論の目指すところだ。結果において速いのはわかっているけれど、真似しようと思っても真似できない。それを可能にするのが組織能力である。

戦略論の視点から見れば、藤本さんのPDPはポジショニングではなく組織能力に注目している。PDPは自動車産業の製品開発を対象に、(当時の)日本の自動車メーカーの組織能力が相対的に優れたパフォーマンスをもたらしているということを実証する。『生産システムの進化論』はPDPの成功の後に続く研究成果で、副題に「トヨタ自動車にみる組織能力と創発プロセス」とあるように、トヨタ生産システムを中心とした研究になっている。PDPが国や企業間のパフォーマンスを比較するクロスセクショナルな研究なのに対して、本書は「トヨタ生産システム」として知られるものづくりの組織能力がどこから生まれ、どのように形成され、どのように進化したのか、という問いに答えようとする。対象を徹底的に掘り下げる藤本さんにしてみれば、クロスセクショナルな分析で日本のものづくりの能力をつかんだ後に、その発生論的な研究、能力構築と進化のプロセスの研究に取り組むのは自然な成り行きだといえる。

この連載の第24回(>>記事はこちら)で、「論理の面白さ」について3つのパターンを紹介した。本質を抉り出す「ガツンとくる」論理。鮮やなか逆説を提示する「ハッとする」論理。もうひとつはごく少数の構成概念で、森羅万象をエレガントに説明できてしまうような「ズバッとくる」論理。『生産システムの進化論』は、このどれでもないもう一つのタイプ、「じわじわくる」系だ。ある仕組みや事象が「実際のところどうなっているのか」を細部の細部まで入り込んで解き明かしていく。本書のまえがきにあるように「企業システム進化のダイナミックなプロセス、とくにその細部が知りたい」(傍点筆者)という欲求、これが藤本さんの研究動機の中核にある。

藤本さんの研究手法は徹底した現場主義。とにかく現場を歩き、現場を見る。そして、見破る。実地調査、フィールドワークの鬼。本書の後(2004)に出た『日本のもの造り哲学』のまえがきで、藤本さんはこういっている。「ほぼ四半世紀、もの造りの現場を見る、という基本動作を続けてきたわけです。最近は、平均して週1回ぐらいのペースでどこかの現場を見ています。ざっと勘定すれば、訪問したもの造り現場の数は、おそらく1000は超えると思います」。藤本さんは自動車のものづくりシステムの細部まで手に取るように知悉している。

余談になるが、藤本さんは雑談が非常に面白い人で(これについてはまた後に触れる)、ずいぶん前に面白い話を聞いたことがある。例によって実地調査のためにヨーロッパの自動車会社の工場を訪問した。そこの生産部門のマネジャーとのインタビューの場で、相手が自社の生産ラインがどうなっているかを説明してくれた。ところが、聞いていてちょっとおかしいと思った藤本さんは、「それはちょっと前の話でしょう。いまのラインはこう変わっているんじゃないですか」と突っ込んだところ、相手は「あ、そうだった」と納得、一呼吸おいて「でも、なんでお前がそんなことまで知っているんだよ?!」とあきれられたそうだ。現場の鬼ぶりがよくわかるエピソードだ。