「里帰り出産」という男性の育児参加を阻む文化
「里帰り出産」とは、妊婦が実家(主に地方)に産前・産後の期間滞在し、実両親の育児支援を受けるという出産慣習であり、実は日本に特異なものと見られている。
戦前、出産は自宅で行うものであった。1950年でも95.4%の出産が自宅などで行われており、病院・診療所・助産所で行われているのは4.5%に過ぎなかった。病院での分娩を普及させたのはGHQであると言われ、1970年には自宅分娩が3.9%に減少し、ほとんどが医療機関で行われるようになった。この過程で里帰り出産の文化が出現する。
自宅で分娩するのであれば経験者(祖母など)の力を借りるのが合理的であるし、戦前は世帯同居や近住が多く、実家で出産するのは理に適っていた。病院で出産するようになると、出産自体には経験者の力を借りる必要性はなくなったが、産前・産後の母体ケアという意味で実家の力は有用であった。しかし高度経済成長に伴い、若年人口の都会移動が起きたことで、「実家」と「夫婦の住まい」が離れるという現象が生じる。同時に新幹線など交通機関も発達し、妊娠中に遠方の実家に移動するのも可能となったことで、「遠方の実家に里帰り出産」という文化が生じたとされている。
父親不在での育児のスタートはデメリットが大きい
高度経済成長期に生じたもう1つの特記すべき文化に、「立ち会い出産」がある。実は明治時代までは月経を「穢れ」とする文化があり、月経中の女性を隔離するための「産小屋」まであったという。出産もこの場所で行われることが多く、男性が出産に立ち会うことは稀であった。
男性が出産に立ち会う文化ができたのも1970年代、病院での出産が普及したことによるとされる。つまりこの時期に、「出産場所の変化」と「若年人口の都会移動」が起こり、これに伴い生じたのが「実家近くの病院での里帰り出産」なのである。
これは男性の育児に大きな影響を与えたと考えられる。先程から触れているように、高度経済成長期に父親は育児から引き離された。同時に、「妻の実家の援助を受けて育児をする」という文化が進んだことにより、「子育ては女性」という考え・社会構造はより強固になっていったのである。つまり、今後父親の育児参画を進めるのであれば、この時期に構築された出産・育児システムを変えなくてはならない。第5章で触れるが、まさに育児の最初、試行錯誤を重ねる段階を、父親不在で進めることは大きなデメリットがある。
無論、特に共働きが進んだ現代において、育児の担い手として祖父母の力を借りること自体は積極的に考えるべきだ。だからこそ、「里帰り」そのものを問題視するのではなく、「育児のスタート時に父親が関与できない」という構造を根本的に見直す必要がある。まさに「男性版産休=産後パパ育休」が実装され、父親が出産直後の育児休暇を取りやすくなった今、「夫婦で一緒に里帰り」なり、「両親が夫婦宅に移動」など、「父親を育児のスタートから引き離さない」システムを広めていかなくてはならない。