宇宙船地球号と映画館
湊と依里は「ビッグクランチ」のことを「ビッグランチ」を言い間違えている。ビッグクランチとは、予測されているこの宇宙の終わり方のひとつである。その仮説によれば、ビッグバンによって膨張を開始した宇宙は、やがてビッグクランチによって収縮に転じる。収縮しきったあとは、また膨張に転じるかもしれないという。湊と依里は、そこに「生まれ変わり」の可能性を見て取っている。
二人のあいだで交わされるごく私的な会話のなかに軽微な言い間違いがあったとしても、それを咎めるものはない。意味内容を共有しており、それで通じ合っているのだから何も問題はない。むしろ、彼らには安心して間違えられる安全な場所が与えられてしかるべきである。
そこに有限性を見出す考え方によって、宇宙もまた容れ物であることが明らかとなる。わたしたち人間は「宇宙船地球号」の乗組員として宇宙を旅している。地球号のなかにも無数の「船」が存在し、人々に安全をもたらしたり、脅かしたりしている。湊と依里が廃電車の内部を宇宙に見立てて飾りつけているのは、いかにも象徴的である【図6】。
このような目眩く入れ子構造のなかには、映画を見ているわたしたち観客のための座席も用意されている。映画館も容れ物である。観客は眼前のスクリーンに映し出される映像の奔流に身をゆだね、視点が切り替わるたびに世界が二転三転する衝撃を味わう。映像の洪水は、わたしたちの凝り固まった思考を浸食する。はたして、わたしたちは生まれ変わることができるのだろうか。