宇宙船地球号と映画館

湊と依里は「ビッグクランチ」のことを「ビッグランチ」を言い間違えている。ビッグクランチとは、予測されているこの宇宙の終わり方のひとつである。その仮説によれば、ビッグバンによって膨張を開始した宇宙は、やがてビッグクランチによって収縮に転じる。収縮しきったあとは、また膨張に転じるかもしれないという。湊と依里は、そこに「生まれ変わり」の可能性を見て取っている。

二人のあいだで交わされるごく私的な会話のなかに軽微な言い間違いがあったとしても、それをとがめるものはない。意味内容を共有しており、それで通じ合っているのだから何も問題はない。むしろ、彼らには安心して間違えられる安全な場所が与えられてしかるべきである。

そこに有限性を見出す考え方によって、宇宙もまた容れ物であることが明らかとなる。わたしたち人間は「宇宙船地球号」の乗組員として宇宙を旅している。地球号のなかにも無数の「船」が存在し、人々に安全をもたらしたり、脅かしたりしている。湊と依里が廃電車の内部を宇宙に見立てて飾りつけているのは、いかにも象徴的である【図6】。

【図6】湊と依里は、廃電車のなかに宇宙を作り出す。この画像のなかには、円環を持つ土星のような惑星らしきものが見えている。
【図6】湊と依里は、廃電車のなかに宇宙を作り出す。この画像のなかには、円環を持つ土星のような惑星らしきものが見えている。(画像=「映画『怪物』予告映像【6月2日(金)全国公開】」YouTubeより)

このような目眩めくるめく入れ子構造のなかには、映画を見ているわたしたち観客のための座席も用意されている。映画館も容れ物である。観客は眼前のスクリーンに映し出される映像の奔流に身をゆだね、視点が切り替わるたびに世界が二転三転する衝撃を味わう。映像の洪水は、わたしたちの凝り固まった思考を浸食する。はたして、わたしたちは生まれ変わることができるのだろうか。

【関連記事】
「10個のリンゴを3人で公平に分けるには?」有名な思考クイズをひろゆきが解いたら…答えが斬新すぎた
なぜ大人も映画館に「名探偵コナン」を見に行くのか…年800冊の漫画を読む哲学者が語る"知られざる魅力"
NHK大河ドラマでは描けそうにない…唐人医師と不倫していた徳川家康の正妻・築山殿の惨すぎる最期
パズーやシータではない…『天空の城ラピュタ』で宮﨑駿監督がいちばん思い入れ深く描いた登場人物の名前
「世界一アルツハイマー病に罹りやすい日本人」予防が重要なのに医療保険制度がそれを認めぬ不都合な真実