信長、秀吉、家康がそろって目指したもの
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。言わずと知れた、いわゆる「戦国三英傑」だ。NHK大河ドラマ「どうする家康」で、家康はもとより3人がそれぞれ色濃く描かれているのは言うまでもない。戦国時代に天下統一をめざした3人であり、いずれも現在の愛知県、すなわち尾張(西部)か三河(東部)の出身である点も共通している。
だが、各人の性質などについては、鳴かないホトトギスへの態度をくらべた川柳が象徴するように、かなり異なるというのが多くの人の印象だろう。「殺してしまえ」「鳴かせてみよう」「鳴くまで待とう」というたとえが正鵠を射ているかどうか、異論もあるようだが、各人のキャラクターが一様ではなかったことはまちがいない。
そんな中で、生まれ故郷や天下統一という目標以外に、3人のあいだで際立って共通していた点とはなんだろうか。それは3人が3人とも神になろうとしたことである。
日光をはじめ久能山や上野などの東照宮にお参りしたことがある人は、多いのではないだろうか。そこに祀られているのは東照大権現、すなわち徳川家康であり、この400年以上昔の天下人は、いまなお神としてわれわれの前に君臨しているともいえる。
天下統一事業を継続する難しさ
戦乱続きの世に終止符を打った3人はともに、戦乱がない社会をたもち、築き上げた権力を持続させるのがいかに困難であるか身をもって知っていた。だから、自身が神にでもなるしかないと考えたのだろう。
欧米でもイスラム世界でも、一神教の国では唯一絶対神のみが神であって、権力者みずからが神になることはできない。一方、日本では古代以来、菅原道真をはじめ神になった人物が少なからずいた。ただし、彼らは人間として死んだのちに、他者によって神格化されたのに対し、「戦国三英傑」は死ぬ前にみずからの意志で神になろうとした点が、きわめて特異である。
それだけ戦国の世を終えるということが、日本史上において困難な事業だったということではないだろうか。もっとも、3人とも当人の希望がすんなりと実現したわけではない。まずは家康から見ていこう。