美しき蘭丸が信長の性愛を受けたというのは空想の産物

だから成利の名前についていうと、「幼名=乱法師、仮名=乱○○、実名=成利」が正しい理解になるのではなかろうか。成利を名乗る時は元服しているわけだから、もう小姓ですらなかったはずだ。

ちなみに成利の元服時期だが、天正9年4月20日に「森乱法師」の表記文書が確認されているので、それ以降に元服したのだろう。

森成利(もと乱法師)はいても、「森蘭丸」はいなかった。

しいていうならば、「乱法師丸」が正式な幼名であったものを、略して「乱丸」と称したかもしれない。ただ、美しき小姓・蘭丸が信長の性愛を受けた──とするイメージは歴史物(漫画や小説など)の舞台でのみ許されることであって、後世に作られた空想の産物であると見るのが適切であるように思われる。

楊斎延一作「本能寺焼討之図」
楊斎延一作「本能寺焼討之図」[出典=刀剣ワールド財団(東建コーポレーション株式会社)]

信長が若い頃の前田利家と一緒に寝ていたという疑惑

織田信長と後に加賀藩の礎を築いた前田利家(1538〜1599)の間に、男色の関係があったとする説がある。

信長との関係は『利家公御代之覚書』(別題『亜相公御夜話』『利家夜話』『菅利家卿物語』『陳善録』等)の「鶴の汁話」に見えるとされる。それはおよそ次の内容として紹介されている。

天正某年──。
信長の新たな居城が安土山に完成し、祝いとして家臣たちが招かれた。鶴の汁のほか、珍しい料理をたくさん揃え、引き出物まで用意した信長は、家老の柴田勝家に「みんなよく働いてくれた。おかげで畿内を静謐にでき、とても嬉しく思う」と述べ、家臣一人一人に言葉をかけ、年来の働きを労った。7〜80人ほどの家臣の末座には、前田利家もいた。
信長は利家に引き出物を手渡す時、「若いころ、お前は我がそばに寝かせ、秘蔵したものであったな」と冗談を言い、その髭を引っ張った。

これを見ていた信長の近習衆は「利家殿のご冥加に我らもあやかりたいものです」と羨ましがり、舞い上がった利家は鶴の汁をついつい食べ過ぎてしまった。おかげでそのあと腹痛になり、「鶴の汁」が苦手になってしまった。

利家は信長と添い寝する仲で、特に秘蔵されたというのであり、男色を暗示する逸話とされている。