いつから「西高東低」になったのか
全国平均以下の都道府県には、東京・大阪周辺が多いが、仮に東京と大阪の隣接県を除いてみると、宮城、北海道、秋田、栃木、岩手、新潟、青森となる。
この傾向は1990年ごろからほとんど変わっていない。しかし、戦争直後の1950年では、上位5道県が、青森、北海道、長崎、岩手、福島(沖縄は復帰前)で、下位5都府県が、東京、京都、大阪、奈良、兵庫だった。
もう少し、細かく見ると、1960年の高度経済成長開始から、東北が急速に下がり始めて、その後も回復していない。一方、九州など西日本各県が、順調に順位を上げてくるのだが、これらの県でも出生率の数字自体は下がっており、下位の都道府県より下がり方が少ないというだけである。
たとえば、2020年時点で4位の長崎県は1.61だが、1950年には4.49だったから約3分の1になっているのである。ただ、下がり方が明らかに東日本より西日本のほうが小さかったのである。
東北では冬季の出稼ぎが少子化の要因に
この東北の動向について、SNS上でも論議し、地元経済の歴史をよく知る人などと意見交換を重ねたところ、戦前から戦後にかけては、子どもを農業労働力として重宝していたことが子だくさんの理由の一つだったようだ。
ところが、高度経済成長期には、二毛作が不可能な東北独自の現象として、冬季の出稼ぎが拡大し、1年間で夫婦が一緒に過ごす期間が短くなった。こうした西日本と異なる事情が、西日本と比べて東北で急速な減少を見せた理由ではないかということで、だいたい意見が収斂した。
東北の出稼ぎは減ったが、現在では、大都市でも企業の転勤に配偶者がついていかず単身赴任というケースが増え、これが、子どもの減少に影響している可能性はかなり高いように見受けられる。それに加え、戦前の東北では子どもの死亡率が高かったことが、子どもをたくさん産んでいた理由の一つという指摘もあった。