家業の農業を継ぐ気がなかった
三重県津市の浅井農園は近年、急成長を遂げて、国内外から注目されている農業法人だ。現在、グループ企業も合わせた従業員数は約500人。ミニトマトの生産が主力で、2023年のミニトマトの予想収穫量は約3000トンと、日本の農業法人では、トップクラスの規模を誇る。
同社中興の祖ともいえるのが、11年に就任した浅井雄一郎社長である。同社は明治40年(1907年)創業の老舗で、浅井社長は5代目に当たる。ところが、浅井社長は当初、「家業を継ぐつもりがなかった」と明かす。
「高校生の頃まで農業はカッコよくない、家業を継ぎたくないと思っていました。関西の私立大学に進学したんですが、農学部ではなくて、理学部で化学を専攻しました。すると、大学1回生の夏休みに、農産関係の米国企業のインターンとして『3カ月間の研修を受けてみないか』と、父に勧められたんです。海外に興味があったので、軽い気持ちで参加してみました」
その米国研修が、浅井社長の運命を変えた。研修先は米国北西部、ワシントン州シアトルの種苗会社。見聞きするすべてが新しかったが、何よりも驚いたのは、家族経営の日本の農業とは違って、米国の農業が“産業化”されていたことだった。
「そして、米国の農業に憧れると同時に、日本の農業に危機感を抱きました。ウチの農園も、日本の農業も、ビジネス、産業にしていかなければ、と痛感しました。父にうまく乗せられて、すっかり就農する気になったわけです」
家業はピーク時の1割程度に縮小
とはいえ、浅井社長は大学卒業後、すぐには農業を継がず、経営コンサルティング企業に就職し、さらに環境エネルギー関連のベンチャーに転職、「他人の釜の飯」を食べて武者修行を重ねた。結婚を機に実家に戻ったところ、父は「後はお前の好きなようにやれ」と、経営の一切を任せてくれた。
しかし、浅井社長は重大問題に直面する。浅井農園の経営が、予想以上に悪化していたのだ。サツキ、ツツジといった花木生産がメーンで、公共工事の植栽などでかつては需要も大きかったのだが、実家に戻った08年頃には売り上げが最盛期の1割程度にまで落ち込んでいた。
「実態を知ったときは、目の前が真っ暗になりましたが、何か手を打たなければ、もう先がありません。そんなとき、閃いたのがミニトマトの栽培でした」