「私自身、地方行政の経験がないので不安はありました。ただ、そこまでしていただけると嬉しいですよね。妻も賛成してくれたので、お受けすることにしました」と久保田は振り返る。

要請から2カ月もたたない8月1日には着任するという、猛スピードの人事であった。軽のRV車に着替えと布団を積んで陸前高田へやってきた。

5月、最初にこの地へ降り立ったときは、あまりの惨状に声も出なかったという。どこから手をつけていいかもわからない、茫々たるがれきの山。それでも地元の人間は暮らしを立て直していかなければならない。その手伝いをするのが久保田の役割だ。

副市長の職掌は意外とあいまいで、市長を補佐したり、対外的な折衝を行ったり、フェイスブックを通じて情報発信をしたりと何でもありだ。久保田は市民や職員に求められるまま、多忙な日々を過ごしている。

そんな久保田から見て、行政のあり方はどう変わるだろうか。

「いまは中央よりも地方のほうが面白いことのできる時代です。何よりも意思決定が速く、柔軟性があります。たとえばフェイスブックを中央官庁の情報発信に取り入れるとします。大臣が主導すればまだいいかもしれませんが、それでも、いろんな部局から注文がついて、セキュリティに問題が残るとかいわれている間に1年経ったりするわけです(笑)。でも地方なら、市長に5分くらい話して『うん、いいね。やろう』といってもらえたらそれで実現します。20年ごろには、国のほうも自然に地方のような形になっていくのではないでしょうか」

被災地では過疎や産業の衰退といった問題が改めて顕在化した。一方で、震災を機に都会からUターンした若者がNPOを設立するとか、町おこしの会社をつくるという動きが相次いでいる。空気は明らかに変わってきた。

「日本の若い人は国や自分の将来を悲観的にとらえる傾向があります。たとえばフィリピンの若者は、現時点で日本よりもずっと恵まれていないのに、日本人よりもよほど希望を持っています。この状況を私は変えたいと思っています。もともとポテンシャルのある国ですから、希望を持てれば元気になります。そうすれば、また次の繁栄が始まると思うんです」