事務次官に選ばれる人の三条件
私が見てきた官僚の世界は、人事がすべてであった。毎年、夏の定期異動が行われ、そのつど出世レースに残った、外れたを繰り返す官僚人事は、生き残り競争以外の何ものでもない。一人の次官を生み出すため、途中から同期が間引きされていく現実に、一群のエリート集団にあって、「何としても自分は残りたい」と内示されるポストに人生のすべてを懸ける姿が垣間見られた。
その毎年繰り返される人事異動の到達点が事務次官なのだから、そこに焦点を合わせて人事にまつわる話を聞けば、キャリア官僚の一面に迫ることができるかもしれない。来る日も来る日も挨拶代わりにこの話題を持ち出し、彼らの見方、感想をひたすら聞き回った。
いったい、事務次官にはどんな人物が選ばれるのか。ある程度理想のタイプの人物像に収斂するであろうことは事前に予想していたが、話の中身を大枠でくくると、以下の三つの要素にまとめることができた。
一、「彼があそこまで言っているのだから、受け入れざるをえない」と思わせる人間としての器量、あるいは人徳。
二、「彼なら危急存亡の時にも、安心して組織の舵取りを任せられる」と感じさせる安定感や懐の深さ。
三、「相手を最後の最後まで追い込まない」ハンドルの遊びを持つ人柄、人間性。
「彼があそこまで言っているのだから」の説得力
何も官僚に限らず、民間企業の出世条件と言われても異論をはさむ余地はないが、キャリア出世三点セットの一つひとつにエピソードを交えた解説を加えておこう。
まず、第一に挙げられた「彼があそこまで言っているのだから」と矛を収めさせる点だが、これはとりわけ多くの官僚が指摘した条件だった。中でも予算や税制を担う大蔵官僚は、政治家だけでなく他省庁の官僚との折衝が日常業務であり、霞が関の中でもより高い次元の説得力が求められる。そうした丁々発止の議論をもってしても結論に行き着かない時、最後の切り札になるのが、「彼があそこまで言っているのだから」という一種の免罪符に似た説得力である。のちに、初めての財研担当で得た知識が、実感を伴って納得するエピソードに出会った。
斎藤次郎(59年)は国民福祉税で、田谷廣明(68年)は過剰接待で国民の大批判を浴びた人物だが、あえて誤解を恐れずに言えば、仕事のできる人たちであったことは間違いない。
ある年の予算編成で斎藤―田谷が上下関係にあり、相手省庁が最後まで折れずに二人が万策尽きたという局面を迎えた。その際、斎藤が相手省庁の担当者に向かって、最後通牒ともいえる台詞せりふを投げつけた。
「田谷があそこまで言っているのだから、これ以上の譲歩は無理ですよ」
結局、これを機に相手も引き下がらざるをえなかったそうだが、一義的に田谷に「彼があそこまで」の要素があったこと、それを上司の斎藤が援護射撃する形で収拾を図ったということだ。もちろん、そこに至るまでに大蔵、他省庁双方の担当者の間で信頼感が醸成されていなければ、こうした結論に達するのは不可能だったとは言えるだろう。