「人事の噂」を会話の突破口にした
いざ財研に配属になってみると、あまりにも巨大な組織を前にしてどこから攻め込んでいいやら途方に暮れた。当時は金融監督庁(現金融庁)が分離される以前で、主計、主税、理財、銀行、証券、国際金融局が一つ屋根の下にあり、それぞれの局が高度な専門性を駆使して行政を進めていた。主計であれば予算、主税であれば税制……、各局が管轄する最低限の知識がなければ取材の糸口さえ見出すことができず、おのずから土地勘のある証券局ばかりに足が向いた。
案の定、キャップから「証券局だけでなく、各局を万遍なく回らなければ、大蔵省を担当した意味がないじゃないか」と厳しい叱責を受けた。さて、この難問をどう突破するか、もちろん各局の所掌内容も少しずつ勉強しながら、当面の対症療法として「人事」をテコに彼らの懐に飛び込むのは無理にしても、取材の取っかかりを掴むぐらいはできるのではないかと思い至った。
省内を歩いていると、首相経験者の田中角栄や竹下登が官僚の入省年次をしっかり頭に入れているエピソードをよく耳にした。大蔵省に限らず、官僚の出世は同期入省を軸に闘いが進められ、その期の中から最終の上がりポストである事務次官が選ばれていくので、まずは彼らの入省年次を正確に押さえることから取りかかることにした。
キャリア官僚にとって最高の到達点
現職キャリア官僚のポストが書かれた名簿(当時、それを「白表紙」と呼んでいた)を持ち歩き、一人ひとりの名前の上に年次を書き込みながら挨拶代わりの取材を始めた。とはいえ「入省は何年ですね」「同期に○○さんがいますね」と当たり障りのない質問をしても、話題はすぐに尽きてしまう。そこで、会話の突破口を開くきっかけとして「人事」を話題に振ろうとしたが、財研に赴任した早々から各年次の人事情報に通じているわけもなく、窮余の策として「事務次官」を話の糸口にすることにした。
キャリア官僚にとって事務次官はめざすべき最高の到達点であり、その栄光を射止めるのはどんな人物なのか。次官に昇格する人たちには、能力や人柄、仕事ぶりなどに共通する特徴はあるのか。次官昇格必須条件といった法則性は描けないにしても、それに類する必要十分条件のようなものは、彼らとのやり取りの中から浮かび上がらせることができるのではないか――そんな曖昧模糊とした結論を自ら導き出して、とにもかくにも彼らとの会話に入っていく作業に専念したものだ。
話を聞く相手は、自分の年齢(当時31歳)から10歳程度上の人たちを対象にした。さすがにこんな話題を局長・審議官クラスに振るわけにもいかず、30代後半までの課長補佐クラスであればそれなりに許容範囲であろうと自身を納得させ、名刺を配りながら「ところで」と話題を転じ、事務次官論議に相手を引き入れる努力を続けた。