アサヒバイオサイクル(旧アサヒカルピスウェルネス)社長の千林紀子さんは、1990年にアサヒビール女性総合職大量採用の初代として入社した。新人営業として大阪支社で勤務した後、東京本社のマーケティング部に抜擢された。商品開発を担当するはずが、上司に告げられた仕事の内容とは――。

※本稿は、千林紀子『仕事の成果が上がる「自分ごと化」の法則』(有隣堂)の一部を再編集したものです。

銀座の交差点に立つ女性
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入社4年目に待ち受けた“試練”

1990年4月に入社した私は、3年間にわたる女性総合職の「大量採用の初代」に当たります。男女あわせて大卒総合職が256名入社し、うち110名ほどが女性でした。最初の配属先は大阪支社で、新人営業として約3年半勤務しました。