では、この武将は誰なのか
この画は一体、誰を描いたものなのか?
二引両紋を用いる家であり、長谷川等伯とも縁があると想定される能登畠山氏ではないかとされています(畠山義続を描いたものとも説があるが、畠山氏の誰を描いたものなのか、いまだ結論は出ていません)。
等伯は能登国(石川県)に生まれ、その父は畠山氏の家臣でありました。そうしたことを考えた時、藤本氏の見解は納得できるものでしょう。
信州大学教授などを務められた笹本正治氏も、藤本氏の主張に「納得」している歴史学者の1人です(笹本正治『武田信玄』中央公論社、1997年)。
3つの肖像画に共通する特徴
笹本氏は、1986年に山梨県立美術館で開催された特別展「甲斐につちかわれた美とこころ 山梨の文学と美術」を観覧しました。
そこには、武田氏に関係する肖像画が勢揃いしていたそうです。笹本氏がそこで注目したのは、信玄の父・「武田信虎」像(甲府市大泉寺所蔵)、武田晴信(信玄)像(高野山持明院所蔵)、本稿で問題にしている長谷川信春(等伯)が描いた「武田信玄」画(高野山成慶院所蔵)、武田勝頼・同夫人・信勝像(高野山持明院蔵)でした。
高野山持明院所蔵の「武田晴信」像は、高野山成慶院所蔵の「武田信玄」と比べると、全然、顔立ちや体型が異なります。
高野山成慶院所蔵の「武田信玄」は、でっぷりとした顔立ち、堂々とした体格、頬ヒゲ、太い口ヒゲが特徴的です。しかし、高野山持明院所蔵の「武田晴信」像は、それと比べて痩せていますし、口ヒゲ・顎ヒゲは生えているものの、成慶院所蔵の「武田信玄」と比べると、濃くはない。頬ヒゲも生えていません。
それこそ、中井貴一さんが演じても違和感がないと思えるしゅっとした「信玄」像です。
笹本氏は、持明院所蔵の「武田晴信」像と、父の「武田信虎」像、子の「武田勝頼」像などを見比べて「顔の形や目、全体の体つきなどに共通する点があった」と述べられています(前掲書)。